2016年12月29日木曜日

第161回:「梅原猛の授業 仏教」梅原 猛

レーティング:★★★★☆☆☆

今年最後のレビューとなります。これで本年28冊目のレビューとなりますが、このブログを初めて2位となる冊数であり、1冊1冊もかなり分量があったので総ページ数としては過去最高記録かもしれません。なかなか公私ともに多忙だった1年ですが、来年も色々と面白い本を発掘していきたいと思います。

さて、今年ラストは本作、図書館でフラッと目に入った1冊です。元々、父が梅原さんの著作が好きで、実家に『隠された十字架』と『水底の歌』(他にもあったかもしれません)がありました。前者は高校あたりで読んだ記憶がありますが、豊富なエビデンスを基に論を進め、大胆な考察をしていくところはとても驚き、学者というのはこういうものかと智のすごさというものを実感したものです。

梅原さんは哲学を皮切りに勉強を始められた方ですが、日本の古代史、宗教、哲学などについての著作を数多く残されています。本書は京都の洛南高校の生徒向けに行った全12回の授業をまとめたものとなりますので、著作というか講義録という感じの仕上がりです。なお、仏教の成り立ちや考え方といった点は実は少なく、日本に伝来した仏教がどのような発展や変貌を遂げてきたかということに力点を置いて、わかりやすく書かれています。以下、もっぱら備忘まで主な点を書き留めたいと思います。

・舞台となった洛南高校は空海(弘法大師)の開いた綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)という学校がルーツ(真言宗系)。
・釈迦は王族の座を捨て出家、35歳で悟りを開き、80歳までガンジス河流域において説教を行った。
・その思想を一言でいえば四諦(苦諦、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦)。その意味で極めて道徳に近い考え方。また、カースト社会において四姓平等を説いたのは革命的。
・龍樹(インド150~250年頃)が大乗仏教を理論的に確立。現在、大乗仏教が色濃いのは日本とモンゴルくらい、小乗仏教はタイ、ベトナム、スリランカなど。
・大乗仏教は自利利他で特に後者を重んじる。観音菩薩は仏様になれるが、人間を救うためにわざと菩薩に留まっている。
・日本に仏教を導入した聖徳太子の17条の憲法は仏教ベース。太子が作った注釈書は『三経義疏』(さんきょうぎしょ)であり、法華経が含まれる。
・奈良時代には行基が仏教をさらに広める。旅をつづけ下からの布教を行った。資料はあまりないが、異相の仏像を数多く残している。
・平安時代には空海と最澄が出る。最澄は学者肌で論争が得意、空海は茫洋としているがスケールの大きな人(20年の留学も2年で切り上げ帰国)。最澄は比叡山にこもり既存仏教を批判して天台宗を始める。空海は現世肯定の真言密教を持ち込み、高野山と東寺をベースに活躍。 ・鎌倉時代には法然と弟子の親鸞、更に栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)が活躍。親鸞は天才といってよく、数々の作家をひきつけてやまない。 ・現在の日本の仏教界は明治期に寺が世襲となり、求心力を失いつつある。ただ、多神教であること、他者への寛容さや生き物の平等など優れた点が多く、道徳のベースとしても復活が期待される。

ほんの入門的な内容ですが私にはとても勉強になりました。これを機に梅原さんのほかの著作もまだまだ読んでいないので読んでいきたいと思います。

2016年12月4日日曜日

第160回:「残夢の骸-満州国演義9」船戸 与一

レーティング:★★★★★★★

ついに今年後半の読書時間のかなりの部分をつぎ込んだ満州国演義も最終巻となりました。巻末には2段組みで13ページに渡り参考資料が列記されており、著者の本作を作るための長い苦闘がしのばれます。さらに、第2巻と本巻だけについているあとがきが秀逸で、特にこちらのあとがきは今まで読んできた中でもとても素晴らしい味わいのものです。

本作は戦況がどん詰まりとなった1944年6月のマリアナ沖海戦のあたりから始まります。すでに米国海軍の猛攻により太平洋の制空権はほぼ失われ、ガダルカナル、サイパン島を相次いで失っていきます。多くのページが割かれているわけではありませんが、沖縄戦の悲劇や捷一号作戦、本土決戦準備などが描かれていきます。また中国大陸、とりわけ満州はソ連との緊張関係が高まっていきます。最強とうたわれた関東軍は相次いで主力が南方前線の支援に送り込まれ、開拓民や高齢者を相次いで徴兵し、頭数を揃えますがその内実は練度、武器・弾薬ともに心もとない限りの状況に陥っていきます。

欧州戦線においてイタリアが降伏し、ドイツが倒れ、ヤルタ会談(1945年2月)が開かれます。この会談ではソ連による対日参戦容認がなされたといわれており、本書も基本的にはその見解を採っていますが、本当にどうなのかはよくわかりません。ただ、ソ連軍が極東において大幅に戦力を増強し、終戦前にサハリンや満州に雪崩れ込んだことを考えればそうなのかもしれません。また、このソ連の対日宣戦の可能性と台湾沖航空戦(1944年10月)の誤報を握りつぶしたのは戦後名をはせた某参謀ではないかと繰り返し書かれますが、ここももはや歴史の闇に埋もれ、真相は解明されないでしょう。

満州での日本人の逃避行やシベリアへの抑留が本書最後のハイライトですが、とても悲惨です。満州は長く戦争下での奇妙な平和を享受するわけですがその精算が最後になされます。太郎は寒い大地で自分なりの後始末を付け、三郎も帝国軍人として自らの人生を閉じます。次郎はインパールで果て、四郎は満州で生き別れた照夫を内地に連れていきます。本書の準主役であった間垣は、最後まで信念を貫き見事なセリフを残します。

本書は決して有名ではなく、その長さやマニアックさから一般的には今後もなりえないと思います。他方、この完成度の高さは尋常ではなく、しっかりとした評価を中期的に獲得する一冊と思います。

2016年11月23日水曜日

第159回:「南冥の雫-満州国演義8」船戸 与一

レーティング:★★★★★★☆

長い長い本作もついに最終巻(第9巻)の手前まで来ました。この巻は1942初頭~1944年夏ころまでをカバーしています。戦局は陸海軍の快進撃により順調に当初進行するものの、ミッドウェー海戦で海軍の中核部隊を失い、その後も太平洋北部、南部において相次いで敗戦を重ねます。有名な話ですが、徹底した情報統制と大本営発表の垂れ流しにより、戦局は国民に伝わらず、メディアはその片棒を担ぎ、当時の東条首相を中心とした極端な精神主義がまかり通っていくことになります。また、本作においても詳細に書かれていますが、国内はもちろんのこととして満州でも憲兵隊が幅を利かし、文字通りモノ言えば唇寒しの状況に陥っていきます。

また、大東亜共栄圏を掲げ、インドネシアではオランダ軍、ミャンマー、インドではイギリス軍、フィリピンではアメリカ軍と相次いで交戦していき、一定の支持は得るものの、現地での統治政策の欠如、理念先行で実体的には資源の収奪的な側面もあり、持続的な支持を得るには至らない状況に陥っていきます。これもよく言われることですが、兵站の軽視・無視などから第8巻の後半かなりを割いて描かれるインパール作戦はチャンドラ・ボーズと東条首相の思惑により推進されるものの、現実の兵士たちはこの世の地獄を味わうこととなりました。

太郎、三郎、四郎には大きな変化はありませんが、太郎の妻の圭子は帰京し、病院に入ります。このくだりは戦争にとどまらない人間の業の深さを思い知らせれ、またラストの次郎の下りは衝撃を受けます。最終巻はどうなってしまうのか想像もつきません。とても重苦しい一冊です。

2016年11月9日水曜日

第158回:「雷の波濤ー満州国演義7」船戸 与一

レーティング:★★★★★★☆

本作はやや時間が掛かってしまいました。1冊500ページ弱あるので、この第7巻までで3400ページくらい読んできた計算になります。読むだけでもこれだけかかるわけで、船戸さんがどれだけの資料を読み、取材をして気の遠くなるような蓄積をもって書かれたかを考えると頭が下がりますし、著者の作家人生を賭けた作品だということが分かります。今回は1940年、昭和15年、皇紀2600年からスタートし、開戦間もない1942年の初頭までがカバーされます。

本作では孤立主義を守りながらも国内の大不況に喘ぐ米国、戦略的に日本への圧力を掛けていきます。日本は日本で近衛内閣が混迷を極め、三国同盟に足かせを嵌められ、にっちもさっちもいかないまま資源を求めて南進を始めます。ここからは歴史でもよく習うわけですが、ハルノート、真珠湾攻撃、電撃的な南進、シンガポール陥落と進んでいきます。恐ろしいことですが日本も米国も国民は開戦を熱狂的な気持ちで迎え、総力戦にのめり込んでいきます。1点、今の時代が決定的に違うのは、ベトナム戦争の映像のようにある程度メディアや情報ツールが発展し、リアルタイムにいろいろな情報が入ることかと思います。当時、前線のつぶさな詳細が分かっていればという気はしますが、全面的な情報管制の中では望むらくもありません。

敷島兄弟はというと太郎は相変わらずなすすべもなく満州にとどまり、瓦解していく日本外交を外から眺めていきます。戦争と軌を一にして太郎の私生活も崩壊していき、あれだけ幸せであった家族に暗い影を落とし始めます。次郎は相変わらずの流浪を重ねながらも、意識しないままに特務から引き受けた裏の仕事を重ね、インド国民軍と関係を持ったり、シンガポールにまで足を延ばしていきます。三郎は相変わらずエリート憲兵として活動をしていますが、いわば憲兵のエースとして南進に同行することとなります。そして義兄を悲劇が襲います。四郎は相変わらず国策映画会社で羽ばたけない日々を送ります。

全体的に4兄弟は奇妙な安定を手にしている一冊で、残りの2巻でどういう展開になるのか今から大変気になります。

2016年11月3日木曜日

第157回:「アドラー一歩踏み出す勇気」中野 明

レーティング:★★★☆☆☆☆

少し前回のレビューから時間が空いてしまいましたが、こまごました時間の中で読書は相変わらず継続中です。今日は図書館で予約を入れてから相当待った一冊です。この3年くらいでしょうか、書籍界ではちょっとしたアドラーブームが起きています。私もよく知らなかったのですが、フロイトやユングに並ぶ大物心理学者(これはちょっと言い過ぎかと思いますが)という人もいる様です。基本的には劣等感というものに注目し、その代償としての優越コンプレックスというものをテーマとして持っていたようです。また、心理学をベースにどうよく生きるかという観点で、個人の利益のみに注目する私的論理の超越や共同体とのつながりやコモンセンスというものを重視しているようで、概ね近代西洋的な考え方のベースと一致しており、現代の日本人にはすんなりと頭に入る内容ではないかと思います。また、過去が未来を決定するということではなく、自分の目標の持ち方が未来を決定するということで、決定論を強く戒めており、この種の自己啓発系の本ととても親和性の高い心理学のようです。

さて本書はかなり売れているようですが、大学講師の方がライトノベル風に広告マンを題材にストーリーを作られたものです。内容としてはすっと読めて、たぶん2時間もあれば早い人は読み終わるのではないでしょうか。特に複雑な理論めいたものもなく、同時に内容の薄さをかなり感じますが、新書ですのでまあこういうものだと理解するほかありません。ただし、内容としては結構面白く、いろいろ考えさせられる部分があります。自分の備忘を兼ねて見出しを拾ってみます。
第1「自己成長の鍵は共同体との良好な関係にある」割り箸の話
第2「人が持つ劣等感、それは飛躍の原動力である」原点となる劣等感の話
第3「キミは私的論理の虜になっていないだろうか」自分の利益の話
第4「人生の正しい目標とは共同体への貢献である」コモンセンスの話
第5「より多く得る人からより多く与える人になれ」子供を預かる話
第6「誠意ある態度とは相手を思いやることである」会長直談判の話
第7「パートナーには献身で接することがすべてだ」退院の話

他にもアドラー本を今後読む予定なのですが、最初の一冊としてはさくっと読めてよかったかもしれません。定価で買うのはお勧めしませんが、ご関心ある方はどうぞ。

2016年10月10日月曜日

第156回:「大地の牙ー満州国演義6」船戸 与一

レーティング:★★★★★★☆

1938年、昭和13年から話が続きます。女優・岡田嘉子と演出家・杉本良吉の樺太への逃避(1月)から話が始まり、この巻では中国における版図や紛争を拡大させる日本軍に対して、じわりじわりとソ連や共産主義の脅威が色濃くなってきます。また、満州建国大学も建設が進み、満州の国家としての体裁を整える動きも加速します。その後、4月には大本営から徐州攻略の指示が出て、南方戦線が拡大していきます。

改めてこの時代の年表を見ると、矢継ぎ早に重大事件が発生しており、大きなものだけでも1936年の226事件、1938年の国家総動員法成立(本巻でも出てきます)、1940年の大政翼賛会発足(次巻で出てくるのでしょうか)となります。この巻は陸軍内部の権力闘争が概ね統制派の大勝利に終わり、国家総動員法へと続き、国民の服装や物資など基本的な資源や権利が制限されていく過程が描かれます。また、外交レベルでは、日独伊がその結びつきを強め、三国同盟の可能性が取りざたされ始めますが、敵対していたはずのドイツとソ連が不可侵条約を結び(密約としてポーランドの分割統治があるわけですが)、日本は国際外交の中で大きく翻弄されていきます。そして、独ソ不可侵条約によって極東に軍事力を振り向けることができることになったソ連は極東ノモンハンにおいて日本軍と激突、日本軍は近代化されたソ連軍機甲部隊に文字通り蹂躙されていきます。

4兄弟ですが、太郎は引き続き無力感を味わいつつ満州国の主要外交ポストに就いてますが、私生活は二面性を持っていきます。次郎は、無聊に耐えられず、金のためもあり特務やユダヤ人工作家、インド人商人などから次々と闇の仕事を引き受けていきます。三郎は、抗日軍討伐に大きな成果を上げますが、同時に耐えがたい喪失感にもとらわれていきます。四郎は次郎との再会やかつての燭光座の面々と意図せぬ再開を果たしていきます。

話は急速に展開し、英米の影が色濃くなってきます。次巻もかなり密度の濃いものになりそうです。

2016年10月2日日曜日

第155回:「灰塵の暦ー満州国演義5」船戸 与一

レーティング:★★★★★★☆

西暦1936年、昭和11年から話が始まります。書き出しは5月ですが、まだ2月26日に起きた事件の余波が続いています。皇道派の排除はまず陸軍内で進み、同時に少し時差をおいて中国における関東軍や満州軍にも大きな影響が出てきます。

馬賊をやめた次郎は、時に生きていくために、また時に無聊を慰めるため、特務機関から請け負った抗日軍掃討作戦などに従事していきます。日本人としてのアイデンティティや自由に生きていくことへのこだわりの間で、はっきりとした葛藤が描写されています。比較的リスクをとった生き方をしていたのに、心身ともに無事であった次郎にも次第に濃い雲が訪れ、抗日軍との戦闘で被弾し、愛犬の猪八戒を戦闘で亡くします。

日本国内では中国での戦線拡大を支持する動きが急ピッチで起きてきます。普通選挙が戦争を起こしたというやや極端な見方もありますが、正確な情報が伝わらず、経済的な困窮を打開するために、農村を中心に積極的な戦争支持が広がっていきます。また、メディア、とりわけ新聞が積極的な役割を担い、現在相当左寄りの毎日新聞、発行部数1位といわれている読売新聞が前のめりに煽ったことも描かれています。

この巻のハイライトは、盧溝橋事件(昭和12年7月7日)の発生でしょうか。これは北京郊外における日本軍と中国軍の衝突であり、不明確な戦争方針の下で確信犯的な関東軍や陸軍派遣隊の暴走が続き、日中戦争に拡大していくわけです。ここで日本政府は、国際的にこれは戦争ではないという立場をとるために支那事変と呼び、ずるずるとのめり込んでいきます。ここでも衝撃的なのは、明確な指示がないままに、皇道派と統制派の対立の中で機能不全に陥った陸軍や関東軍が独走していく構図です。誰が何を決めているのかすら明確にわからない状況が続き、太郎の勤める外務省は圧倒的に戦争の拡大を止めるという点でも無力です。この後、上海での激戦となり蒋介石の重慶遷都へと続いていきます。現代日本や世界にも重い意味合いを持つ一連の流れだと思います。

2016年9月18日日曜日

第154回:「炎の回廊ー満州国演義4」船戸 与一

レーティング:★★★★★★☆

このところずっと読んでいる船戸さんの連作の第4巻です。今回は西暦1934年3月1日(満州国建国)から話が始まり、1936年2月26日の有名な226事件で話が終わります。この巻は前巻と基本的なトーンは終わりですが、陸軍内部の混迷が深くなっていく様子、そして皇道派が暴発していく過程が描かれています。明治時代の長州閥から始まる天皇機関説、それに対する陸軍内部や在野からのとてつもない批判があり、同時に満州は共産党やコミンテルンの息がかかった抗日軍の散発的な行動に悩まされていきます。三郎をはじめとする憲兵隊や四郎が手伝う入植も進んでいきますが、歴史の大きな渦は容易に満州国の立ち上がりを許しません。

また、この巻の主題の一つは、ついに本格的に関東軍が軍資金としての阿片取引にのめり込んでいくこと、更に内蒙古人やユダヤ人(ロシア領在住を含む)など、世界史の中でなんとか居場所を物理的に見つけていこうという切実な人々と満州国の奇妙な関わり合いが描かれるところです。日本人、朝鮮の人々、中国の人々だけではなくとても重層的な構造を作品に与えており、その奥行きを一気に広げています。

しかし満鉄がロシアの鉄道権益の一部を買収したり、北支、ロシア国境にはスキーで移動する部隊が居たりと、今回も知らないことだらけでした。近代史はまともに勉強したことがないのですが、興味深いものばかりです。巻末の226事件をきっかけにさらにシリアス度が高まりそうな第4巻でした。

2016年9月3日土曜日

第153回:「群狼の舞ー満州国演義3」船戸 与一

レーティング:★★★★★★☆

昭和7~8年がカバーされる本書は、益々深まっていく関東軍による満州構想と昭和7年3月1日の満州国建国、更に首都がおかれた新京(現在の吉林省長春市)の開発などが描かれていきます。いろいろと興味深いものがあるのですが、満州国はその理念として五族協和(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)と王道楽土を掲げていたというものです。高邁な理想であり、一部は白人からの搾取やアジアの独立といった大義がベースにはあったようですが、現実的には関東軍としての中国政策、対北方対策が本当のベースとしてありました。

もう一つ興味深いのは、かなりの武装移民を日本から入れていたことです。これは知らなかったのですが、北方の農地開発と対ソビエト対策として日本の農村の余剰人員をまとめて移住させ、農業もそこそこに武器を与え、軍事訓練を行っていました。しかしながら、すでにこの第3巻の時点で、あまりの寒さ、理想と現実の落差に戸惑う農民、十分な訓練もケアも与えられない関東軍、すでに破綻の予感が色濃く読み取れます。

本巻でもう一つ凄みがあるのが、長男である太郎(外交官)の変質です。平和を希求する彼は、関東軍の憲兵をしている三郎と決定的な対立をするなど、外交官としての良心を持っていたのですが、次第に母国における戦争への強い肯定感、圧倒的に思惑とは異なって進んでいく事態、また新国家を樹立するという一大事業に心を惹かれ、いつしかなんとなく満州国への態度を軟化させ、むしろ積極的に満州国を良いものにしていきたいという考えに変わっていきます。このあたりは船戸さんが描かれたかった点ではないかと思います。どんな立派な人も高邁な理想もいつの間にか随分と短期間に変質してしまいかねないこと。とても怖い下りかと思います。

2016年8月28日日曜日

第152回:「劔岳<点の記>」新田 次郎

レーティング:★★★★★★★

新田次郎さんは昭和の大作家であり、とりわけ山岳小説で有名な方ですが、名前はもう20年ほど知っていながら一度も読んだことのない作家の一人でした。特に読んでこなかった理由はないんですが、最近映画化(2009年)されるなどした本作を書店でたまたま手に取る機会があり購入してきました。なお、初版は昭和52年発刊、私がっ手に取った文庫版は昭和56年発刊ということでした。そういう意味では相当古いわけですが、昭和後期ですので個人的にはそんなに遠くは思えません。

さて、初めて読みましたが新田さんの文章の的確さ、過不足なく進んでいく筆に脱帽です。文体は昭和の作家ですがとても現代的で、今年刊行されたといわれてもほとんど違和感のない現代性を獲得しています。

内容についても、山岳小説というジャンルではありますが、とても優れた特徴を持った一冊だと感じました。具体的には、測量官という「地図を作る」というほとんど知られていない世界にスポットを当てていること、劔岳というキャッチなー山を題材に山岳会との測量官の微妙な相克と愛情を描いていること、測量官である柴崎氏のひたむきさや同僚、妻への愛情を細やかに描いていること、日本の山岳信仰、特に立山信仰と奈良朝時代とみられる開山の歴史に迫っていること、など本当に挙げきれない興味深いテーマがバランスよくとらえられています。本当に力量のある作家だったんだということを痛感しました。

また秀逸なのが長めに書かれた新田さんによる「あとがき」です。64歳か65歳であった新田さんの好奇心旺盛さと執筆意欲に驚かされますし、丁寧に執筆の背景を紹介し、本作の魅力を一層高めるようなものになっています。久々に最高レーティングです。新田さんのほかの作品も読み進めてみたいと思いますが、まずは代表作の一つである「強力記」でしょうか。お勧めの一冊です。

2016年8月15日月曜日

第151回:「事変の夜ー満州国演義2」船戸 与一

レーティング:★★★★★★☆

前回に続いて満州国演義の2巻を読みましたので、早速レビューです。本作は、昭和5~6年の出来事を巡って話が展開していきます。本作の主題である満州事変は昭和6年の9月18日の柳条湖事件をきっかけとして始まります。電車を襲うという謀略は日本陸軍が得意としていたようで、昭和3年の張作霖爆殺も同じような場所で、規模は違うものの同じような手法で行われています。話は脱線しますが、日本陸軍はことを有利に運ぶために、大陸において相当多くの謀略戦を行ったようで、特務機関を中心に良いか悪いかは別として縦横無尽に工作を行ったことが描かれています。これは日本陸軍が範としたドイツ陸軍の影響との記載がありますが、そうなのでしょうか。

さて、本作もエリート外交官の太郎が次第に日本陸軍に押され、次第に何もできなくなり無力感にさいなまされる様子、緑林の徒となった次郎が私怨を晴らしつくしたところで特務機関からの接触を受け、金のために軍の支援に入る模様、皇国軍人として先鋭化していき、最後には太郎にも迫っていく三郎、生きがいを得ぬままに次々と特務機関に使われ、上海にて自警団に非公式に加わる四郎などが、とてもテンポよく重層的に絡み合いながら描かれていきます。

本書を読んでいって思うのは、当時の中国は国民党、共産党、西欧列強の租界や権益、すでに明治43年(1910年)に日本に併合されていた朝鮮からの人民の流入、モンゴルやコサックの存在、日本での長引く不況と大量の人員余剰などなど、本当に複雑怪奇な状況でなし崩し的に物事が進んでいたことの恐ろしさです。誰が何を決めていたかという観点でいけば、実際にものを決めて現実に反映させられたのは関東軍の首脳だけに思えます。

歴史や歴史観はとても意見が分かれるところですが、本書はかなり史実に忠実にあろうとしています。過度に右寄りであったり、左寄りの解釈はとられていませんので歴史の勉強としても非常にためになります。

2016年7月23日土曜日

第150回:「風の払暁ー満州国演義1」船戸 与一

レーティング:★★★★★★☆

気づいたら150回目の投稿となりました。もっぱら読書記録として読むたびに書いてきましたが、ちりも積もればで数年かかったものの、いろいろと読んできたなぁと感じます。面白いもので、昔の投稿を読むとその時にどういう仕事をしていたかとか、どういう気持ちだったかが時折ビビッドに思い起こされたりして、記憶のアンカーのような役割もしてくれます。

さて、本作は日本の太平洋戦争前からのクロニクルでして、船戸さんの渾身の一作のようです。船戸さんの名前は高校時代あたりから存じ上げていたのですが、冒険小説の書き手というような印象しかなくて、今までおそらく1冊も読んでいなかったと思います。しかししかし、今回初めて読んでみてその面白さに脱帽しました。私は祖父が戦中満州に居たこともあり、かなり小さい時から満州というものに関心をもって、関東軍や満鉄関連の本も一時期読みました。石原莞爾の「最終戦争論」を読んだこともありました。そんな中で丁寧にその時代を大きなスケールで描いた本作はとてもツボに入る一作です。

物語は比較的裕福で自由な家庭である敷島家の4兄弟を軸に展開します。しっかりとしたエリートの太郎、ひょんなことから大陸に渡り無頼の生活を続ける次郎、軍隊へ進む真面目な三郎、大学生でありながら身を持ち崩していく四郎と様々ですが横ぐしを指すのが、特高と満州のキーワードです。この「1」については展開は比較的穏やかですが、徐々に暗雲が立ち込める様子がとてもリアルで、著者の高い筆力を感じます。時代としては張作霖の爆殺のあたりです。「2」も早く入手して読みたいと思います。

今はこの時代や満州について関心を持たれる方は少ないと思いますが、例えば映画「ラストエンペラー」に関心がある方など、時代ものが好きな方にはお勧めです。ものすごくざらりとした感触がある歴史ものです。

2016年7月9日土曜日

第149回:「警察庁国際テロリズム対策課ケースオフィサー(上)(下)」麻生 幾

レーティング:★★★★☆☆☆

前回(第148回)に続いて麻生さんの警察庁ものです。文庫版(2009年刊行)を読んだのですが、ちょうど1週間前にバングラデシュにおけるイスラム過激派によるカフェ襲撃で多くの日本人、イタリア人他が亡くなりました。とても残酷な犯罪で、犯人グループは立てこもると非ムスリムや外国人を狙って危害を加えていったようです。外国において希望をもって仕事に当たっていた方々の無念さは計り知れません。

本作は、その事件後の報道でも出てきた警察庁のカウンター・テロリズム活動の話です。あとがきによれば、どうも当事者にかなり取材した形跡があり、もちろん取材源秘匿の観点からも相当デフォルメやフェイクを入れているにせよ、日本初の国際過激派を追っていた話などはかなりリアリティがあります。また、主な舞台は9.11直後の日本ですが、おそらく当時は相当警察中心に緊張が高まったのは想像に難くありません。これから東京オリンピックもありますし、いろいろな形でテロ防止ということは切実な課題として日本でもクローズアップされるのではないでしょうか。

さて、作品としては前回レビューしたものよりはわかりやすく、上下巻と長いことからもわかる通り、二つの時代を一人の刑事の視点から統合していく意欲作となっています。中東の乾いた感じとヒロイン(?)もマッチしており、とても雰囲気のある作品といってよいかと思います。他方、二つの時代を交互に行き来していく形で物語が進行し、著者特有のとびとびの記述が目立つ部分があり、それなりに丁寧に読んでいても物語の筋が相当分かりにくい部分があるのも事実です。この点がもう少し改善されれば、文句なく星5つかなと思うのですがそこは残念です。そういうのは繰り返しですが編集者がきっちりと指摘して改善していかないといけないと思うのですが。

これで警察小説は一つ区切りをつけて、また違ったものを読み進めています。6月は妙に忙しくてなかなか読書が進みませんでしたが、7、8月はたくさん読むものがたまっているのでドンドン行こうと思います。

2016年6月5日日曜日

第148回:「外事警察コードジャスミン」麻生 幾

レーティング:★☆☆☆☆☆☆

第146回でこの前作となる「外事警察」をレビューしました。外事警察は率直にとても面白かったのですが、スケールを増した本作は見事といってもよいほど荒唐無稽に仕上がってしまい、更には編集の結果なのか急いで書いたのか文章が飛び飛びで流れを抑えることが困難な出来となっています。かなり完成度という点で低いですし、そもそものストーリーや設定に無理がありすぎて本当に残念な作品です。正直言ってかなりの暇つぶしであっても読むことをお勧めしません。

流れとしては前作で失敗を犯して退職したと思われている上司が、実はいろいろな策動を動かしており、ダブルスパイと思しきパキスタン人の姉妹が云々ということなのですが、ステップのいずれにも無理があり、無理があるだけならよいのですが各人の描写も極めて薄いため、説得力もありません。あまり長々といかに失望したかを書いても仕方ないので、短いですがここらへんで終わりということで。

2016年5月29日日曜日

第147回:「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(再読)村上 春樹

レーティング:★★★★★★☆

村上さんの長編としてはいまだに最新(おそらく)かと思いますが、3年ぶりに再読しましたのでレビュー。前回のレビューは第65回(2013年4月)でした。

さて3年ぶりに読んだ本書、当時は村上さんの久々の新刊として話題になりましたが、世間では意外にも現代的な設定に驚きが出て、また一部の人からは筆力が衰えただの相当ネガティブな批評がでていたと記憶しています。しかし、今回改めてこの小説の良さや完成度の高さに感じ入りました。

まず、私は主人公とほぼ同年代だからか、主人公が感じるような成長期を振り返ってのなにかもやもやした感じがよく理解できます。子供でも若者でもおじさんでも(たぶん)ない微妙な年齢にして感じる、ちょうど宙に浮いたような感覚です。そして主人公は大学時代に壮絶な経験をして、一度精神の死といってよい状況に陥るのですが、それと共存しながら社会に出て、それなりに上手くやって生きていきます。小説にはやや強烈な大変として書いているのですが、ポイントは自分がなした行為ではなく、他者、それも本当に身近な他者からもたらされたことで、ある意味主人公の人生や人生観が大きく変わっていることが重要ではないでしょうか。選び取れることは人生でいくつかあると思いますが、選べないで起こってくる(良いことも悪いことも)はものすごくたくさんあることを最近感じます。ある人にとっては、地震などの自然災害であったり、親の海外転勤であったり、身近な人との別れであったり枚挙にいとまがありませんが、ある意味、村上さんは本書で普遍的な話を書いているとも読めます。

そして、そういう成長期、いや人生において否応なく迫ってどうしていくかということについて考えさせられます。主人公がとったのは、相当の年月を経てですが、年上の彼女との出会いを契機に、自分の過去と向き合うことです。ここも面白いのは、過去と向き合っていくということは内的な選択なのですが、契機はあくまで年上の彼女が直観的に感じ取り、勧めてくれたことです。ここでも他律的にというと大げさですが、きっかけは外からやってきます。そして、痛みをもう一度なぞっていくにも等しいものですが、名古屋に旅立ち、フィンランドへ向かいます。この辺りの下りはとても繊細に過不足なく描かれているように思えて、まさに巡礼という魂を想起させるタイトルにぴったりです。

最後に本作は最後の部分も秀逸です。疾走感のあるエンディングで、まさに再生という感じの終わり方です。べたな終わり方といえばそうですが、物語の王道とも言える、出来事、取り組み、出口という流れにきれいになっており、最後はハッピーかはわかりませんが、主人公の人生になんらかの新たな展開が訪れることが描かれています。今回もぜひ続編が読みたいところです。おそらく出ないとおもいますが、結婚した主人公がまたいろいろと巻き込まれて、というのはどうなるのか面白そうです。もはや文学的な作品にはならないかもしれませんが。

まとめるととてもクオリティの高い作品で、初期の作品のような熱量はないかもしれませんが、いまの村上さんにしか書けない本当に円熟した作品ではないかと思います。また、一定年代以上でないとなかなか理解しがたい作品ではないかとも思います。

2016年5月22日日曜日

第146回:「外事警察」麻生 幾

レーティング:★★★★★☆☆

本屋に行くと警察ものや軍事ものがたくさん並んでいるのに気が付きます。90年代より格段にこのジャンルは拡大している気がしており、とりわけ今回レビューする外事警察のような公安やテロ対策について取り扱っている本が多いと思います。悲しいことではありますが、9.11以降、世界的にテロは時代のキーワードとなってしまい、テロの恐怖は潜在的に日本人にとっても根強いものとなっています。そういった関心にこたえる作品が多く作りさだれています。

本書は、まさにタイトルのとおりの外事警察について取り扱っているものです。外事警察とは警察の中で海外関係の対テロや対謀略関係を担うセクションとのことです。話はイスラム関係を題材としていますが、そのこともさることながら、普段触れることのない一端を垣間見られるところが面白いところです。しかしながら、当然厚いベールに包まれている外事警察なので、小説に書いていることがどこまで本当かが全然わかりません。著者の麻生さんはこの関連の作品を多く書かれているので、相当取材はしていると思いますが、それでも壁は厚いでしょうし、それなりのフェイクなどもわざと入れているのではないかと思います。

また、警察の中でも強力な実力部隊であるSATも複数回出てきて、作品中で重要な位置づけを占めます。私が麻生さんの作品で唯一読んだことのある『宣戦布告』(もう10年ほど前でしょうか)でも、外国からの不法侵入に対して自衛隊がいかに出動できないかが描かれていましたが、現在でもその状況はほとんど変わっていないでしょうから、SATは一つの警察力の頂点としての象徴的な意味合いがあるのでしょう。

作品全体は真面目なトーンですが、とても読みやすく娯楽大作という感じです。決して下品ではありませんし、メッセージ性もあります。NHKで映像化されたようですが(見てませんが)、たぶんきっちり映像化すれば結構面白い作品になったのではないかと想像します。飛行機の行き帰りで読んだのですが、(ポジティブな意味で)あまり頭を使わずにどんどん読めるので楽しいです。ちょっと他にも読んでみようと思える作品があるので今年どこかでトライしたいと思います。

2016年4月24日日曜日

第145回:「サバイバル登山家」服部 文祥

レーティング:★★★★☆☆☆

昔からこういう冒険ものというか極地ものが好きで、本作も面白く読みました。私が昔衝撃を受けたのは、石川直樹さんの「この地球を受け継ぐものへ」というノンフィクションで、20代前半の世界への好奇心を相当に刺激されたものでした。それに対して本作は、どちらかというと国内の山の話ばかりですが、知床や黒部といった日本でも、また世界的にも相当厳しい自然の中での話です。

アマゾンではやや辛口に評されていますが、サバイバル登山とは筆者によれば、極力装備や食事を切り詰め、簡素化していって理想的には身一つで自然に入って生き延びるような登山のありかた、ということになるかと思います。その割にはタープがあったり、お米や調味料が結構たくさん持参されたりと、それってサバイバルなのかという疑問が呈されていますが、私はこういうコンセプトは(自分はやらないし、どこまで意味があるのかはわからないけれど)とてもユニークで面白いと思います。そして登山のような行為では、そういう楽しみ方も十分許容されてしかるべきだと思いますし、実践して、本に出すこともとても面白いことだと思います。

本書で読み応えがあるのは、後半に描かれる黒部の迫真の登山記録です。黒部というのは本当に人も入るのが容易でない山深いところだそうで(今でも車でも行くのは相当困難だそうです)、しかも冬は世界的な豪雪地帯ということ。ここに正月に何度も言っている筆者とその仲間の方々はかなりクレージーだと思いますが、何日も雪に降り込められて身動きすらできない様は圧倒的です。さらにそこで複数人とはいえ、一緒にサバイバルしていく様はかなり面白いです。

著者の服部さんは、たまに雑誌「Be-pal」などに寄稿されています。最近はハンティングにも凝っていらっしゃるようで、ジビエを自分でさばかれたりしてワイルド度が本書が刊行された10年前より上がっている感じもします。ぜひ、海外での活動など新たな展開がまた本になることを期待しています。

2016年4月10日日曜日

第144回:「日本百名山と深田久弥」高辻 謙輔

レーティング:★★★★★☆☆

最近知ったのですが昭和中期に相当の登山ブームがあり、その時の火付け役はいくつかあるそうなのですが、一つが本書のタイトルになっている深田久弥氏(作家、登山家)が選定し、雑誌に連載した日本百名山だそうです。その本自体をまだ読んでないので、やや順番が前後しているのですが、評伝を見つけたのでまず背景を知る意味でも読んでみたものです。2004年、白水社刊行の単行本です。

深田さんは東大出身の当時として相当のインテリだったようですが、小説を書き、また登山に若くからたしなんでいたことから山岳関係の散文や小説も多く手掛けた方ということです。加賀の大聖寺あたりの出身ということですが、世田谷区松原や鎌倉にも住んでいたようです。また、大変な書物の収集家としても知られ、内外の古書を買い集め、自らの庭に九山山房という小屋を建てて、山岳関係の本の保存、閲覧、助言などに使っていたようです。

面白いのは日本の山を若いころから登り続け、自ら登った山の中から百名山を選定したことです。基準はゆるやかですが、原則1500メートル以上であること、山としての品格があることなどを挙げています。私は、小学生の時に上った筑波山(今年もう一度いこうと計画中)しか登ったことがないのですが、ぜひとも百名山を登ってみたいと考えています(1年に5峰で20年かかりますが・・)。

深田さんの時代から、現在もある山岳雑誌、例えば『山と渓谷』、『岳人』などがあり、深田さんも活発に寄港されていたようです。さすがに『PEAKS』はなかったようですが。この時代の登山はとてもおおらかで、結構山頂で酒を飲んだ、みたいな記述が出てきます。下山に危険が多いことを考えると、現在ではご法度な気がします。深田さん自身もかなり大酒飲みだったようで、それが直接の原因かわかりませんが、芽ヶ岳(山梨県、1704メートル)を登山中に亡くなっています。享年1704メートルでした。急死されたことは残念ですが、山を愛した深田さんとしてはある意味本望だったのかもしれません。ぜひ原書である『日本百名山』を近々読んでみたいと思います。

第143回:「風林火山」井上 靖

レーティング:★★★★★★☆

第140回で井上さんの『氷壁』をレビューしましたが、とても面白く、ほかの作品も読みたくなり図書館で借りてきました。相当古い作品ですが、こちらもとても面白く読めました。近現代の作品と歴史ものの作品をここまで上手く両方ともかける作家というのは、今の時代を入れてもとても稀有なのではないかと思います。

今年の大河ドラマはご存知の通り『真田丸』であり信州が現在のところ舞台となってきました。ごく初期に武田勝頼がなくなってしまいますが、その哀切な最期はかなり見事に描かれており、久々に歴史もの、それも武田家関係が気になっていたところ、ちょうどよく手に取り、あっという間に読了しました。タイトルから想像されるのはいわゆる武田信玄ですが、本作は予想に反して、優れた軍師、軍略家であった山本勘助を中心に展開していきます。知りませんでしたが、勘助は結構な年齢になるまで今川家の城下に居て、何度か今川家に士官を試みるものの実現せず、半分浪人のような形でいたようです。苦労人なんですね。

さて、武田家につかえることになった勘助はメキメキと戦ごとに信頼を勝ち得、武田家の重臣となりあがっていきます。これだけだと凡百の歴史小説ということで終わるのですが、本作は勘助の男前とはいえなかった容貌、天才的な直観と計略、子も家族も持たず戦いに明け暮れるなかでの諏訪の姫他へのひそかなる強い愛情、主君への忠誠など相反する強い情念を余すことなく描いているところです。心理小説的でもあり、単なる歴史小説とは趣を異にした傑作と呼んでよいと思います。

また、上杉家なども丹念に描いており、戦国時代の対立や戦闘というものが、決して単純な領地争いや殺戮の要素だけではなかったことも描いています。最後は第4回川中島の合戦(1561年10月)で終わりますが、これも壮絶であり、勘助はもとより信玄の弟・信繁、諸角虎定、初鹿野忠次なども戦死したようです。歴史もの好きな方は必読の一冊です。

2016年3月27日日曜日

第142回:「大人の流儀5 追いかけるな」伊集院 静

レーティング:★★★★★☆☆

前作の『なぎさホテル』に続いて伊集院さんのエッセーとなります。すでにこのシリーズは4冊、昨年末にレビューしていますが、本書は2015年11月に出版されたもので、現時点での最新作となっています。いつもどおり歯に衣着せぬとても率直で面白い内容になっています。

いろいろと面白い記述があるのですが、まず野球で言うと松井氏のことは絶賛する一方、対談もしたイチロー氏のことについては相当懐疑的なところが面白いです。両選手はキャラの方向性がそもそもかなり違いますが、伊集院さんが直接的に指摘しているようにイチロー氏の発言がとても分かりにくく、日本語として難があるというところは個人的にはかなり同感です。偉大な選手ですが・・・。
あとは、スマホを四六時中、大人も子供もいじっている社会が異様であることも繰り返し言及しています。この点については自分も全くその通りだと同感する一方、暇があれば読んでしまう自分もいるので、その一員としては偉そうなことは言えません。最近気づいたのですが、朝の電車で新聞を読む人がほとんど皆無になりました。日経や産経は電子版に早くから力を入れていたので、ビジネスパーソンは結構スマホで日経などを読んでいるのかもしれませんが、ふと目に入る人は2チャンネルのまとめとか、パズルゲームなどが多いのはやや気がかりです。新聞を読んでいると偉いという話ではありませんが。あと、漫画を読んでいる人もいなくなりました。昔は1列8人並んでいたら、2人がジャンプやマガジン、2人が小説、2人が音楽、2人が昼寝というイメージがあったのですが、今は8人並んでいれば6人くらいすまほを見ているイメージです。これからは眼科が儲かる時代が来そうです。

本作は伊集院さんらしい、大人とは、男とはといった武骨な内容が前面に出ており、らしさを取り戻した一冊といっていいと思います。面白かったので、関心ある方にはお勧めです。

2016年3月12日土曜日

第141回:「なぎさホテル」伊集院 静

レーティング:★★★★☆☆☆

著者が20代後半から30代半ばまで過ごされた、逗子のホテル(今はないそうです)における暮らしやその時に出会った人たちについて書いた回想のような一冊です。小生でもないし随筆ともいえない不思議な文章ですが、著者にとって悩ましくも比較的穏やかな時代だったと見えて、強い思い入れを感じる文章となっています。様々な挫折を経てこのホテルに偶然到着された伊集院さんは、そのままホテル側の行為で7年間も逗留することになります。

この本の良いところは、たぶんその話自体が奇跡的な、ややもすると信じられないような前提に基づいているところにあります。すなわち、偶然いったホテルが寛容にも7年も止めてくれる、もちろん一定水準の料金は払っていたにせよですが。また、そこに出てくる支配人、漁師さん、各種のバイトの人などとの交流が穏やかで、読んでいても癒されるような感じを受けます。まさにこのホテルが伊集院さんに提供したのは、シェルターであり、病院のような機能ではなかったかと思います。また、小説家へはばたく前段階として(学生時代に続いて)相当の読書をこの期間にされたようですので、ナーサリーの役割もしていたのではないでしょうか。

正直にいえばもう少し細かいエピソードが多くあると、よりリアルに情景が浮かび上がってくる感じもしますが、追憶のスタイルなので、ややぼんやりとした記述に意図的にしているのかと思います。伊集院ファンにはお勧めの一冊です。

2016年3月5日土曜日

第140回:「氷壁」井上 靖

レーティング:★★★★★★☆

井上さんは昭和を代表する大作家であり、多くの方が小学校などの教科書や入試問題などを含めて目にされたことがあるのではないでしょうか。私も中学か高校で「あすなろ物語」と「天平の甍」を読みました。前者についてはさわやかな作品だなぁという程度であまり強い印象が残っていないのですが、反面後者の作品は中国やシルクロードにあこがれた時期があったので、とても衝撃を受け、その格調高い文体と描写に心を打たれた思い出があります。

そこから相当の年月が経ってしまいましたが、この作品に偶然図書館であり、ちょうど山野井さん(クライマー)関連の本を読んでいたこともあり借りました。文庫本で600ページほどの長大な作品ですが、やはりプロの作家というのはこういうものなんだと実感するような素晴らしいものでした。昭和30年代前半の様子も感じることができ(おもったよりずっと余裕がありそうです。現代よりも)、そういう観点でも楽しめました。

作品の題材は、ナイロンザイル切断事件というもので、いわゆるクライミングをしている男性2人組が穂高で登山中にナイロンザイルが切断し、1名が亡くなられた事件です。Wikiなどで見ると、この事件は昭和史的にはかなり有名な事件のようで、相当の長い間の関係者の苦闘があるようなのですが、本作品はそのごく初期のみを描写し、さらにやや込み入った人間関係を中心に、青春、恋愛、結婚、自然など様々な題材を織り込んで進んでいきます。いろいろな読み方ができる優れた文学の典型のような一冊ですが、この本の主人公は登山をする男性2名ではなく、そのうちの1名と関係のあった女性のような感じがします。この人への作者の思い入れが半端なく強く感じられます。

最後の幕切れは劇的ですし、ぜひ古い小説と思わず読んでいただければと思います(三島などより読みやすさという意味では段違いです)。ほかの井上作品もたくさん読んでいないものがあるので読み進めていきたいと思います。

2016年2月27日土曜日

第139回:「陸軍中野学校」斎藤 充功

レーティング:★★★★★☆☆

小学生のころから戦史ものが結構好きで、男子であれば多かれ少なかれそうだとおもうのですが、よく読んできました。そんな中で何度か満州関連の書籍やインド関連の書籍で出てきたのがこの「中野学校」です。この著者のもの含めて類書がいくつかあるので一般的にもそれなりに有名だと思うのですが、陸軍が設立し、終戦まで続いたいわるゆ諜報専門の学校です。知らなかったのですが、この中野学校と補完関係にある登戸研究所というものもあって、そこが諜報活動を支える各種の機材などの研究・開発をしていたということです。そんな昭和史に7年しかなかったこの学校は、2000人ちょっとの卒業生を世に送り出し、その概略や卒業生へのインタビューを記録したのが本書です。

まず、戦前の日本がロシア、朝鮮半島、中国大陸などを中心に壮大な諜報網を張り巡らし、強い危機感をもって情報収集にあたっていたことがわかります。またそのための要因を体系的に育成するための学校を(もちろん表向きはただの陸軍学校でしたが)を設立し、カリキュラムを整備してプロを養成していたことは、現代とは隔世の感があってとても興味深いところです。OB等への熱心な取材もあって、教科一覧なども出ています。そして、これらの諜報員は商社のような民間会社などに紛れ込んで諜報活動を行ったり、大使館などに送られたり、さらには最前線に入って原住民工作などを行っていきます。そのバイタリティーたるやものすごいものがあり、日本人は内向きとか島国根性といった通説はまったくもって(少なくとも特定の時代状況においては)当てはまらないことがわかります。

本書で特に興味深いのは、OB等へのヒアリングにより、存命者を中心に戦争後の姿を描いているところです。ある人はシベリアに抑留され、ある人はGHQに協力し、ある人は公安調査庁に進んだり、ある人は実業に身を投じたりということで本当に多彩です。その中で印象的なのは、誰もが中野学校について話したがらず、同校についてプライドをもっているようですが、一様に手放しでの肯定評価はしていないところです。学校の性質を考えれば当然そうなのかもしれませんが、戦後も数奇な運命に巻き込まれてしまった方が多く、また存命者が相当の年齢に達していることを考えると、人の運命や生死を簡単に捻じ曲げる戦争のむごさを感じる次第です。

最後に下山事件や戦時中に日本軍が行っていた貨幣偽造や大量の裏金作りはあまり知らなかったので、勉強になりました。なかなかにマニアックな本ですが、近代史としても読める充実した内容になっていますので、ご興味ある方はぜひ。

2016年2月21日日曜日

第138回:「ソロ 単独登攀者 山野井泰史」丸山 直樹

レーティング:★★★★★★☆

人物ドキュメンタリーの一冊です。特に理由はないのですが、この書評で取り上げることの少ないジャンルです。特に理由がないと書きましたが、要は他人が誰かについて書いたものがあまり好きではないのかもしれません。なかなか手触りがなく、まだ存命の方についての本ならなおさらです。しかしながら、本書は期待を大きく上回る一冊で、とても面白いものでした。ちなみに1998年に初版ですので、結構な年代物です。

まず山野井さんは、本書の出版元である「山と渓谷社」が出す雑誌の人気投票で知りました。なにかとランキングの多い雑誌で、例えば好きな日本アルプス、とか好きな登山ギアブランドとかしょっちゅうランキングを付けており、たしか2015年末あたりの号に好きな登山家といったランキングがあり、そこで1位だったか2位になられていたのが、この山野井さんです。そのときは恥ずかしながら名前しか知らず、Wikiなどで調べてみると、びっくり。とてつもないアルパイン・クライマーであり、それこそ現代では世界を代表するといっても全く過言にならない方だと知りました。そんなこんなで図書館をぶらついているときに、偶然見つけてすぐに借りました。

本書の素晴らしいところは、率直な著者の姿勢です。取材対象である山野井さん(夫妻)を過度に称揚することはなく、むしろ普通の人の視線でやや辛辣な嫌いさえあります。他方、著者自身もロック・クライミングをやっていたようで決して山が嫌いではなく、むしろ山に取りつかれた山野井さんに徐々に好感を抱いていきます。そしてなにより本書の面白いところは山野井さんの破天荒な生き方です。すでに小学生からある「登る」というキーワード一つに、高校から本格的にのめり込むさまは正直に言って異様であり、すこし理解しがたいところがあります。また、次々と名声を打ち立ててからもさらに危険に接近し続けるようにチャレンジを続けています。本書以降にも本当に危険なクライミングを繰り返しており、重大な怪我を何度かされているようです。。。

こういう激しい登山のジャンルがあるとは知らず、さらにこの方のような激しい登山に取りつかれた生き方があることも知りませんでした。これは真似しようとしても(真似しようと思いませんが・・・)真似できない世界ですが、彼が見たもののすさまじさは何となく感じることができます。ぜひ続編を作っていただきたい一冊です。

2016年2月3日水曜日

第137回:「ユニコーン」原田 マハ

レーティング:★★☆☆☆☆☆

副題は「ジョルジュ・サンドの遺言」であり、その名のとおり19世紀フランスの作家ジョルジュ・サンドと彼女が魅入られたタピスリーの話です。単行本で読みましたが、小説というよりは、国際線の機内誌にありそうなちょっと長めでおしゃれな感じの小文といった感じです。そういうセッティングで読めば特に文句もないのですが、残念ながら文章の密度はとても低く、おそらく私が1300円+消費税を出して買っていたら、たぶん率直に怒っていただろうなという一冊です。

前作の「楽園のカンヴァス」が素晴らしかったのに、そう違わないタイミングで刊行されたこの書下ろしがなぜこういうクオリティなのか大変不思議です。文体や主題からして作者ご本人が書かれているのは相違ないと思うのですが、物語があまりに短く、余韻も深みもあまりなく不思議です。おそらくですが作者はジョルジュ・サンドについて良く調べ、関心を十分に持っているのに、自身が知っていることをあまりに捨象してしまい、サンドの本当に一部分だけ切り取ってしまっていて、結果としてほとんど伝わらない文章になったのではないでしょうか。

図書館で借りるにしてもあまりお勧めはできません。作者のファンであれば読む価値はあるかもしれませんが、それでも相当時間を持て余している方のみでよいものと思われます。

2016年2月2日火曜日

第137回:「楽園のカンヴァス」原田 マハ

レーティング:★★★★★☆☆

ある大先輩に一度勧められ、今度読んでみようと思いつつ少し時間がたち、ひょんなことから読む機会を得ました。原田マハさんという方は、お名前も知らなかったし、正直そこまでメジャーな方でもないと思いますが、いろいろと調べてみると多作の作家のようです。また、美術を題材として多くの作品を書かれていて、初めて読んだ本作は大先輩が進めるとおり、とても素晴らしい作品でした。

題材は表紙に描かれている絵を描いたアンリ・ルソーです。フランスの画家であり、ピカソのような大家と比べると評価がやや別れるところですが、はっきりとした色遣いで、ややもすると芸術的というよりはポスターのような絵にも見えるところが特徴です。長いこと徴税官などを勤めたことから、日曜画家(良い意味ではないですね)などと呼ばれたりもするようですが、本人の一生を主題としながら、若き美術研究者とキュレーターがそれぞれのプライベート・ライフとキャリアを抱えながら交錯するというものです。

まず印象に残ったのは作者の筆致のペースが乱れず、読みやすい文章を書かれる点です。美術が題材ではあっても、過度に描写的でなく、わざとらしい感じがありません。むしろ文章はすっきりと無駄がなく、おそらくですが、それなりのページ数にもかかわらず相当推敲された渾身の作品なのではないかと思います。次に作者の美術への情熱とルソーへの強い愛情です。これだけの資料を調べ、丹念に想像も交えながらルソーのそのひたむきさや情熱を再評価して世に問いたいという強い意欲を感じます。また、作品はバーゼル(スイス)ののどかな街を中心にしながら、20世紀入り前後のパリ、現代の日本と米国も描かれており、時代、地理的な広がりを獲得しており、とても奥行きのあるものとなっています。

美術は全然わからないのですが、MOMA、大英、ルーブル、エルミタージュ、テート・モダンなどに行く機会に恵まれ、そのどれもかなりよい思い出として心に残っています。その中で正直ルソーの絵をみたかどうか覚えていないのですが、どうも日本にも、それも身近な美術館にあるようなので今年中に一作は生で見に行きたいと思っています。

2016年1月31日日曜日

第136回:「麻雀放浪記(四)番外編」阿佐田 哲也

レーティング:★★★★★★☆

前回第135回に続いて、ついに麻雀放浪記の最終作となる四巻です。昨年末から読みはじめ、一冊一冊にボリュームがあり時間がかかりましたが、長年気になっていたシリーズを読み終えて、大変すっきりしました。この四巻も360ページ(解説除く)と読み応え満点です。

本作は坊や哲は以外にもあまり出てきません。勤め人となってわりと真っ当な生活を親元で始め、その代わりに強烈なキャラクターである李と陳がでてきます。とりわけ李は破天荒な生きざまを見せるのですが、その言動はなぜか哀愁を帯びており、当時関西を中心に相当の朝鮮系の人々が居たことと無縁でなく、(本作とは直接関係しませんが)愚連隊といったワードもたびたび出てきます。ここらへんが単なる麻雀文学を超えて、時代を活写する抒情的な小説としての一面を見せつけ、深みを一層増しています。戦後10~20年の時代背景はほとんど知らずに、もはや戦後ではないといった表層的なキーワードしか知りませんが、混乱の中で流儀をもって生き抜いた人々の話は心を熱くするものがあります。

本作は、残されたアウトローたちの苦闘を描いていますが、あれだけ麻雀狂いであった哲が足を洗ってしまったように、麻雀が一般化し、とてもプロがしのぎにくい世の中に変貌していることが分かります。良くも悪くも戦後民主主義的な平和や秩序が猛烈な勢いで広がっており、その反動が60年安保闘争まで、またそのあとを貫く大きな潮流になっていったことが示唆されています。

なお、本作の解説は柳美里さんが書いています。朝鮮系のバックグラウンドの彼女は、お父さんが麻雀をはじめとするあらゆる賭け事にのめりこんだことをやや沈鬱なたっちで本作と被らせており、短い文章ですが悲しい気分になります。一時期、文芸春秋などに生活苦を訴える小文を書いておられましたが、今どうなっているのでしょうか。最近は作品を見かけることもなく(ほとんど読んだことないのですが)、ちょっと気になりました。いずれにせよ、麻雀という題材にとどまらず、広く読まれてしかるべき素晴らしいシリーズだと思いますので、ぜひお手に取ってみてください。

2016年1月10日日曜日

第135回:「麻雀放浪記(三)激闘編」阿佐田 哲也

レーティング:★★★★★★☆

明けましておめでとうございます。本年も細々と本を読むたびにアップしていきたいと思いますので、たまに覘いてやってください。2015年の書評は結局26冊でした。これは結果的に2014年と全く冊数であり、概ね一定のペースで本が読めたということかと思います。振り返るとこの書評を始めてから1年を除いて20冊台なので、平日働いている身としてはここらへんが適正ペースなのかもしれません。

読書は別にして、2015年は子供がボーイスカウトを始めた関係で、いくつかの活動についていったり、個人的にキャンプに行ったりと割と自然に親しむことが出来た1年でした。年初は喘息になりかけたり(こちらは幸い完治)、肋骨おったりと多難でしたが、年後半にかけて忙しかったものの風邪もひかず、家族そろって元気に過ごせたことはなによりでした。今年も年初に立てた目標を達成できるよう、謙虚に進んでいきたいと思います。

さて、今年の最初のエントリーは昨年(二)まで読了していた麻雀放浪記の第三弾です。前回(第128・129回)より評価をかなり上げました。ネタバレになるので詳細は割愛しますが、人に頼らない無頼の博徒として生きてきた哲がなんと会社に就職します。これがまた普通の会社とは程遠いワイルドなところでして、結局仕事ではなく麻雀をしているのは変わらないのですが、話に円熟味が増してきます。また最後の方は元に戻っていくのですが、サブタイル(激闘編)に相応しい読み応え有る内容です。今回はイカサマは減少してきて、かなりまっとうな麻雀の話なので、そういう方が好きな方も読める内容です。

ついに次は最後の(四)となりすが、読みだす前から楽しみです。他にも何冊か読んでいるので1月はそれなりにレビューが出来そうです。末筆ながら皆さまの1年が佳きものとなるようお祈りしています。