2021年12月19日日曜日

第242回:「人生の短さについて」セネカ(中澤 務 訳)

レーティング:★★★★★★☆

久々に読んだ古典になります。この本がお勧め、というようなウェブの記事は関心がありちょくちょく見ているのですが、その中で出てきた一冊です。実はかなり売れている一冊のようです。3篇収録されており、他は「母ヘルウィアへのなぐさめ」と「心の安定について」となります。3篇ともとても含蓄のある内容でとても好きですが、特に最初と最後が素晴らしいと思います。人生の短さについては、何が有意義がよく考えること、意味のない仕事をどれだけしても大した意味はないといったことが書かれています。今の人々は自分も含めて日々仕事に追われ、メールに追われ、私生活でもやることがたくさんあるので、なかなかに耳の痛い内容になっています。

また、「心の安定について」はこれまた秀逸です。親族への手紙の形を取りながら、財産について、仕事について、友人について親身に助言をしていきます。独特の世界観が示されていきますが、とても率直かつ分かりやすく、心を打つ内容になっています。ローマ時代から2000年を超えて、このような普遍的な内容が残されていることは本当に驚きですし、それだけ時間が経っても人が考え悩むことは同じなのだとハッとさせられます。そう考えると、飲み会で私が友人、知人とだらだら話している内容は2000年前の人たちが聞いても特に違和感のない内容なのかもしれません。

古典を読むことの良さは現代を相対化できることにありそうです。要は自分が考えていることは昔の人も考えていたし、逆に昔の人の考え抜いた知恵があること、それは回答ではないですが一つの心温まる支えになる感じがします。

2021年12月11日土曜日

第241回:『プライベートバンカー』清武 英利

レーティング:★★★★★☆☆

知り合いと飲みに行っていたときに、ちょうどその店がこの小説の舞台の一つになっていると聞き、買ってみました。シンガポールを舞台に日本の富裕層とそれを顧客とするプライベートバンカーたちが何を考え、そして日本の金融当局がどのように課税を強化してオフショアへの富の移転とせめぎあっているか、そういう話になっています。小説のようですが実名ノンフィクションとなっており、確かに文体も独特でドキュメンタリーのような小説のような感じです。

シンガポールの狭い国土で繰り広げられるやりとりが身近に感じられ、同国になじみのある方々には面白い内容ではないでしょうか。本書に名前が出てくるプライベートバンクは最初架空のものかと思っていましたが、この前オフィスビルを発見し、本当に実在することが分かりました。初刊が2016年ということで、日本の富裕層の状況も変わってきており、さらには本書でも詳細に触れられている通り日本の金融当局の締め付けも進んでいるということで、この2021年ではまた違う状況になっているんだろうと想像しますが、それでも外資系金融機関には日本人のプライベートバンカーが複数いらっしゃり、やはりそれなりの富裕層やその資産管理が行われているのだろうと思います。

また、日本人相手に限らずファミリー・オフィスといって世界中の資産家の資産運用を行う小規模な運用会社が数多く立ち上がっており、また、シンガポール政府もこの動きを促進しているため、今後も金融資産のセーフヘブンとしてのシンガポールの地位はますます向上していきそうです。プライベートバンクに預けるような資産のない私には全く無縁の世界ですが、こういう世界もある、というのは知識としてはなかなか知られて面白かったです。

本年もあっという間に残り少なくなりましたが、もう1冊レビューをアップしていない本があるのでそちらも年内に上げたいと思います。

2021年8月9日月曜日

第240回:「仕事と人生」西川 善文

レーティング:★★★★★☆☆

有名な経済界の方々が書く本は多数あり、そのうち少なくない冊数を読んできましたが、日本の経営者の書いたもので読みごたえがあったのが西川さんでした。昨年の9月に亡くなられてしまいましたが、若き日の住友銀行でのエピソード、バブルの後処理に奔走する姿、新たな時代の三井住友銀行の経営、その後の郵政などへのチャレンジと本当に波乱に満ちたキャリアを送られ、そのどれもが容易ではなく、成功しても何らかの批判が付きまとう非常に厄介なものだったと思います。旧住友銀行についてはほかにも複数の方々が本を書かれていますが、どれもバブルやその前の時代を描いたものが生き生きとしてそれだけ活気のある銀行だったんだろうなと感じることがあります。

今回の一冊は西川さんがキャリアを振り返りながら、新人時代の思い出、その後身に着けていったスキル、忘れてはいけない心構えなどを非常に分かりやすく説いています。正直に言えば西川さんの以前の著作と重複する部分はそれなりにありますが、とても短く簡潔にまとまっており、若い人が西川ワールドに入っていく格好の一冊になるものと思われます。それにしても中身はどれも納得の行くもので、なにより素晴らしいのは偉ぶることもなく、奢ることもなく、淡々と自分はこのようにやってきて、こういうことが役に立ったと書いていることです。志願しての米国長期調査などはあったものの海外在住や海外留学といったご経験はなかったと思いますが、考え方はとても合理的で無駄がなく明晰です。

そしてなにより惹かれるのはその気骨です。自分はやらねばならないことをやる、正しいと思ったことをやるという根本があり、変に空気を読んでこうしろとか出世のためにはこんなこともしてきたというド根性立身みたいなエピソードは少ないです。もちろん気遣いも配慮も人一倍あった方だったんだと思いますが、そういう面はあえてかもしれませんがほとんど触れていません。しかし、部下たちからいかに慕われていたか垣間見えるエピソードもあり心が温まります。20代、30代にお勧めの一冊です。

2021年7月11日日曜日

第239回:「国銅」帚木 蓬生

レーティング:★★★★★★★

お勧めの歴史もので挙げられていた一冊です。帚木さんの著作は今まで読んだことがなかったんですが、今回読んで、本作のクオリティに感動しました。国銅は東大寺の大仏造営を軸に青年の成長、8世紀の技術、国家、厳しい一足の生活、仏教の大きなうねり、人間愛、生と死が余すことなく描かれています。解説でも書かれていますが、本書の最大の工夫は抑えた筆致で、いたずらに出来事を盛り上げすぎることなく、暗くなりすぎることなく、しかし決して明るくはないトーンで約440ページが書ききられたことだと思います。描写は細かく、延々と続くため、途中で少しペースが落ちることがあったのは正直なところですが、下巻の後半の旅路では主人公の国広と一緒に故郷を目指すような気分になりました。それだけ丁寧に長い生活を一緒に追っていったことで感情が移入されていたのだと思います。

大それたドラマを丁寧に避けているのですが、その中で浮かび上がってくるのは生命への賛歌であり、生活を日々まともに一生懸命送っていくことへのエールです。いやになるようなことやつまらないと思うようなことが日常にはたくさんあると思いますが、そのどれもこれもが生きることの一部であり、全部であるというのが伝わってきます。多様な僧侶の生きざま、なにを大事にして変わらずに生きていくかということを突き付けられます。悲田院に生きる僧侶、故郷で誰も知られずに仏像を彫ること、どれも名声や富とほど遠く、下手したら誰にも気づかれず終わってしまう営為かもしれませんが、それを誰かが見ているんだぞと著者は言っているように思えます。

2003年に刊行とありますが、文庫版の奥付をみるとすでに本年で5刷とのこと。地味かもしれませんが良質な作品が読者の心に届いていることを感じます。次に機会があればかならず東大寺に足を運んで、それを作った人々の長い労苦に思いをはせながら東大寺大仏殿を訪れたいと思います。

2021年6月12日土曜日

第238回:「2030年すべてが「加速」する世界に備えよ」ピーター・ディアマンディス&スティーヴン・コトラー

レーティング:★★★★★★☆

かなり売れているという一冊。普段あまり読まない類の本ですが、世の中の変化の速度がかなり上がってきていて今後数十年続くと思っていたことがどんどんそうではなくなっていることを実感していて、何が起きているのかという興味から読みました。この本が言わんとしているところは、コンピューターの計算速度、ネットによる情報共有量やスピード、そして各種の工学、化学技術の深化で素材や製法について急速に高度化が進行しており、重要なことにはコンバージェンスといって情報技術を中心としてこれらの多様な領域が融合し、相互作用しながら今までにない技術が出来上がっているということ。

この影響は広く深いので、小売りで言えば店舗の位置づけが根本的に変わる、広告は高度にパーソナライズされる(星新一的世界)、エンターテイメントもARと結びついて個別化へ、また医療はロボットや人工臓器、寿命延長が普通のものになり、都市化がさらに進んでいくというもの。SFで読んでいたような世界が本当に広がりつつあり、それのスピードはさらに加速していくというのが著者たちの主張です。人間は本質的に変わることを嫌がる(怖がる)ので読者は嫌な気持ちになるかもしれないけれど、これらの深化は決してネガティブなものではなく、健康や安全の実現、環境問題への急速な対応など、様々なポジティブな結果をもたらすこと、さらには失われる仕事も多数あるけれど新たに作り出される仕事がそれを上回ることもしっかり説明されています。

昨今はコロナもあり、人間が世界の変化についていけていない気がしますが、これからはもっと激しく変化していくことを前提として認識しておけば、いちいち驚くことも落胆することも少なくなることと思うので、そのメリットを最大限生かしていくことを考えたいと思います。非常に説得力のある一冊ですし、売れている理由もよく分かりました。

2021年5月9日日曜日

第237回:「中国の外交戦略と世界秩序」川島 真 他編

レーティング:★★★★★☆☆

珍しくとても固い本です。仕事柄直接ではないですが中国に関係することがあるので、一度、一帯一路といった中国の現在の外交思想がどうなっているのかについて勉強しようと思い立って買った本です。Amazonのレビューでは現代中国研究に欠かせない一冊といった高い評価があり、また執筆者も一線の先生ばかりとなっています。

序章は全体を俯瞰するサマリーのような形になっており、第1部は中国の世界秩序観と対外政策、第2部はアフリカと中国、第3部は中国と周辺、中南米地域となっています。読者によってニーズは異なると思いますが、第1部は一帯一路の戦略的なあいまいさを丁寧に説き起こしていきます。また、丹念にテキストを負うことで改革開放との比較を行っているのもとても興味深いです。また、対外援助分析は中国の援助の歴史を紐解きながらどのように内部体制を整備し、また反省を活かしながら進化しているかが書かれています。

第2部はその名の通りアフリカへの援助と投資について書かれていますが、中国はぽっと出で資金攻勢を行ったわけではなく長期ビジョンに基づいて、時には自国産業の要請に後押しされて資金のみならず外交や草の根を含めた膨大な時間とリソースを投入してきたことがわかります。第3部は特に対メコンの分析が興味深いのですが、かなり中国寄りの観点で書かれているので、一部、少し一方的かなと思われる分析があります。

なお、一部の章で数字の複数の脱落や誤字が散見されるのはこの種の学術書としては残念な思いがしました。

2021年5月2日日曜日

第236回:「暖簾」山崎 豊子

レーティング:★★★★★★☆

淡々としているけれど心を揺さぶられる作品というものがありますが、まさに本作のようなもののことを言うのでないでしょうか。大阪商人が鰹節に注目して、日中戦争、太平洋戦争で大きな財を成し、そしてすべてを失い、それでも前を見て商人道とでもいうべき独特の哲学に基づいて七転八倒しながら商売を盛り立てています。そして戦後、戻ったきた子供たちがその意思を継ぎ、東京進出や大阪での業態転換を果たしていきます。まずは映画作品として上映され(森繁久彌さん)、その後、芝居としても上演されたということですので、当時相当人気があったものと思います。

上方の商売や商売人というのは今はすこし存在感が低下してしまいました。80年代くらいまでは何となく大阪をはじめとした関西圏の独特な感じは言語も含めて強く社会に残ってきたように思いますが、相対的に東京圏が巨大化し、また多くの大阪発祥の会社が東京にも本社を持ち、その後、東京のみに本社機能を移したことで、いわゆる大阪商人を自認する大物経済人は数少なくなってしまいました。

暖簾に代表される信用を重視すること。その信用とは単に財務的な健全さではなく、多くの関係者、今風に言えばステークホルダーの利害にかなうことを、顧客からの信頼を絶対に裏切らないことなどによって確立されました。考えてみれば当たり前ではあるのですが、それをどこまで徹底的に追求するか、文字通り暖簾のためなら私財をなげうってまで勝負できるかどうか、というのが大阪商人の魂だったのかもしれません。山崎さんの作品としては比較的短く、また経済ネタを扱っていることから少し異色かもしれませんが、デビューに当たってこれを書かれたというのは如何に大阪に、そして商売人(山崎さんの周りにたくさんいたであろう)に愛着と誇りを持っていたかがわかります。素晴らしい作品だと思います。

2021年4月10日土曜日

第235回:「あ・うん」向田 邦子

レーティング:★★★★★★★

向田邦子さんは、昔からお名前は知っていたもの作品を読んだことがありませんでしたが、図書館で目に入って薄さもちょうど良いので初めてトライしてみました。なんとなくホームドラマ的なイメージがあり食指が動かなかったのですが、衝撃を受けるような一作でした。ぼんやりとですが、脚本家としてスタートされたという話を聞いましたが、本作は映像がはっきりイメージできる流れになっており、さらに1話1話がドラマ1時間に合うような区切りの良さがありました。また、無駄がなく美しい文章で人物描写もユニークでありながら普遍的であり、本当に面白い作品です。

時代は日中戦争の色が濃くなる時、しかしながら太平洋戦争は始まっていないころと思われます。市井の人々のつつましくも逞しい生活を描きながら大人の友情と恋愛、そして若者たちが余すことなく描かれます。また、特高や徴兵といった時代背景もさりげなく挿入されていき、これが反戦小説だとは思いませんがそういう時代背景が強く意識されていることは間違いないところです。

どうして向田さんは昭和50年代にこれを書かれようと思ったのか、と思いました。とても面白い話ですし、あのころはまだ戦後30年くらいで戦争の色が社会にそれなりにくっきりと残っていた時代だったと思いますが・・それにしてもと思います。この作品が出て間もなく飛行機事故で無くなられてしまったということで本当に残念です。たらればは禁物ですし何処にもたどり着きませんが、もっと長く生きていらっしゃればさらに多くの作品を作り出していただけたかと思ってしまいます。

すぐれた作品の解説はほぼ例外なく素晴らしいと何度か書いた記憶がありますが、本作の山口瞳さんの解説も味があり、哀しみがあり、温かさが備わった素晴らしい内容となっています。

2021年3月28日日曜日

第234回:「強き蟻」松本 清張

レーティング:★★★★★☆☆

ここ数年、松本清張さんの作品に嵌っていますが、挙げられるのはまずは圧倒的な筆力。ぐいぐい引き込まれるストーリー、無駄がない描写、最後の鮮やかさ。特に悪人を描く時の旨さと、単に勧善懲悪ではない、悪そのものの存在を肯定した作品になっているところに深みを感じます。松本さんに限らず、昭和の大作家は本当にすごかったと思う。本作品は昭和45年から連載開始(文藝春秋)ということです。当時私は生まれてなかったものの、まだぎりぎり当時の雰囲気が想像ではあるが理解できる気がします。

本作品は年の離れた夫婦、それも30歳も離れた夫婦の話であり、特にその奥さんが主役となって舞台を回していきます。しかしながら、夫もただの老人としては描かれておらずその相克が非常にち密に描かれます。さらに、そこに弁護士や医者、犯罪事件も絡むという豪華キャスト。内容はネタバレにならないよう書けませんが、解説で似鳥 鶏さんが書かれている文書は非常に面白いことを書き添えたいと思います。似鳥さんのお名前は初めて拝見しましたが、やけに現代調の文章だなと思ったら1981年生まれの推理作家の方で、本書(文庫)が刊行された2013年に書かれた文章のようです。

文庫で400ページくらいですが一気に読めます。清張さんの作品としては決して長くはなく、また舞台が地理的にかなり限定されてしまうので、スケールという点ではすこし物足りないものを感じましたが、人間の心理描写や40前後の葛藤といったところは余すところなく描かれている感じがしました。お勧めの一冊です。

2021年3月20日土曜日

第233回:「約束の海」山崎 豊子

レーティング:★★★★★★☆

前回の投稿からほぼ5ヵ月が経過してしまいました。この間の読書量は大きく低下してしまっていました。仕事環境が激変し、身の回りのことをする時間が極端に増え、移動時間が減るなど本を読む時間がどんどん削られました。しかしながら、今になって少し落ち着いて本を読む時間ができたことは良い印しだと思いますし、これからは少しゆっくりと読書をする時間を意識的に持てればと思います。

さて、久々の一冊は山崎さんの遺作となってしまった約束の海です。小さいころに世間をにぎわし、それを幼心で見ていて衝撃を受けたニュースはいくつかあるのですが、たとえば日航機の墜落、チェルノブイリ、そして潜水艦なだしおの衝突事故でした。それらの事故が持つ社会的な意味合いは当時よくわかりませんでしたが、連日、生々しく放送されるテレビを家族でよく見ていましたし、その痛ましさはもちろんのこと、こういうことが身近に起こったらどうしようという不安を漠然と抱いたことを思い出します。

本作は山崎さんらしく、太平洋戦争初日の真珠湾攻撃から、なだしお、そして日本近海における外国勢力とのせめぎあいを取り上げながら、青年の成長と人生を描くという一大叙事詩となっています。三部作が想定されていたということで、第一部で終わってしまったことは本当に残念ですが、こういうスケールの大きな作品で山崎さんが最後に問いたかったことの重みは十分に伝わってきます。テーマ設定もそうですし、どのような題材に心を動かされておられたかというのを読むと、どこまでも人間的な優しい視点を持った作家でらっしゃったことを感じます。取材は綿密を極め、長い年月と考えられない費用が投じられていたようです。こういう作品を生み出していける作家はほとんどにいなくなってしまったように感じられるのが寂しいところです。山崎さんの本はまだ読めていない代表作が数冊あるのでそれらについても順次読み進めたいと思います。