2013年9月29日日曜日

第77回:「ブッダ入門」中村 元

レーティング:★★★★★☆☆

第76回でレビューした一作の感動が大きく、今回は同じ方が講演した記録を取りまとめた一冊を読んでみました。1991年に刊行されており、出版社主催の連続講演会で話した内容をまとめたものです。対談や講演はとかく文字にしてしまうと内容が薄く感じるケースが多いのですが、この一冊もややそういう傾向があります。しかし、当然ながら分かりやすく専門的な内容を語っているので面白さは十分です。

メモ的に面白かったところを書くと、ゴータマ・ブッダはパーリ語であり、サンスクリットではガウタマ・ブッダということ。ブッダは目覚めた人という意味だが、ゴータマは最も優れた牛という意味であること(インド的ですね)。蓮の花はインドの国花になっている。3つのおごり、老病死でないということ。塔の語源はストゥーパ、護摩は(サンスクリットの)ホーマ。ブッダガヤ(さとりをひらいた場所)には日本寺がある。梵天はヒンズーでは最高の神と考えられていた。ベナレス郊外のサールナートがあるが、ここには鹿野苑(ろくやおん)があるが、これにちなんで京都の金額時は鹿苑寺(ろくおんじ)と名付けられた。鹿野苑には日本の野生司(のうす)画伯が描いた壁画があり、更にこの寺は主としてアメリカ人の資金援助で建立されている。「三帰五戒」は三宝に帰依し五戒を守るという意味だが、五戒のうち最後の飲酒に関するものは、完全に飲酒を禁じるものではなく、できれば深酒しないという相対的なもの(遮戒)。直接の否定や肯定をしない。

なんとなくインドと日本の文明論という感じもする一冊ですが、面白い一冊でした。今度はもうちょっと突っ込んだ内容のものを読んでみたいと思います。

2013年9月22日日曜日

第76回:「ブッダ最後の旅」中村 元訳

レーティング:★★★★★★★

今回の一作は、本ブログ史上最古の本の翻訳です。原文はパーリ語で書かれており、日本の偉大な仏教学者であった中村元氏が訳したものです。私が中村元氏の名前を知ったのはもう10年以上前ですが、大学で「比較宗教学」なる授業をとっていたことがきっかけです。授業に関心があったというよりは、比較的楽に単位が来て、時間帯もたしか午前中の遅めだったので(遅刻しなそうで)いいなというぶったるんだ大学生の典型のような気持ちで受講したのがきっかけでした。しかし、人生万事塞翁が馬ですね、授業は思いのほか面白く、殆ど出席した覚えがあります。その授業を担当していた教授は(今も健在で教えているようです)中村先生の直弟子であり、授業中何度となく中村先生を絶賛していた(事実絶賛しきれないくらいすごい業績を残されています)のがきっかけです。いつかは中村先生の著作を読もうよもうと思いつつ、はや10何年たってしまいましたが、やっと1冊読むことができました。読書はなにか縁を感じることがありますが、この一冊もそういうものとなりました。

さて、本書ですが上記の通りパーリ語で書かれた「大パリニッバーナ経」を翻訳し、さらに分厚い脚注を付したものです(脚注の方が長い)。主題はまさにタイトルの通りで、ブッダ入滅の前後が描かれており、後世の脚色はあるものの、比較的史実に忠実なブッダの姿を伝える経典だそうです。これも大学生の時に手塚おさむの「ブッダ」を読んで大変感銘を受け、今、こうして原典(の翻訳)を読めて非常に感慨深いものがあります。私は特定の宗教を信じることはなく、神社にも寺にも行きます。海外なら教会も行きますし(礼拝にはいきませんが)、ヒンズー教の寺院にも入ります。ただ、海外にいくときにたまに宗教をきかれますが、そういうときに自分ははてなにを(相対的に)信じているかと聞かれれば仏教だと思います。仏教の(相対的にですが)排他的でないところ、無理がないところなどが好きです。その根幹にはブッダというその人への共感がある気がします。

この経典を読んで驚いたのは(およそ経典を読むのも初めてですが)、なんども繰り返しをともなう独特のスタイルです。Aという発言が出てくると、それが1度、多いときは2、3度繰り返されます。最初はめんくらうのですが、繰り返されると自然と頭に入ってきて、心地よいリズムができてきます。解説によれば、初期の経典は口承で伝えられたので、覚えやすいように繰り返しが多用されているとのことです。もうひとつは、非常に人間的なところです。後世の脚色/神格化が少ない経典だそうで、比較的生き生きとした会話があり、痛みの描写があり、気遣いの様子が描かれています。まさに人間ブッダを描いており、そのストイックさ、他者への思いやり、飾らなさなどに心を打たれます。特に思いやりという点では、死の前に客人から振る舞われた食事をとって急速に体調を崩すのですが、その状況でさえ食事を出した人がのちのち自分のせいではないかと気にやまないように深い気遣いを見せます。また、古代インド/ネパールでも深い身分制度が確立されていたのですが、殆どそれを感じさせず様々な階層の人と対等に自在に交流しているところです。おごらず、たかぶらず、えらぶらず、当たり前といえばそうですがどこにも強権的なところがありません。

本書の後半は全て中村先生による解説ですが、またこれが秀逸です。余りに難しくて2割くらいしか分からないのですが、東西の翻訳や写本も検討し、細かなニュアンスの検討をこれでもかと行っています。現代の世界、日本でこういうレベルで語れる人は何人くらいいるのでしょうか。その圧倒的な博識と執念にただあきれるばかりです。

いきなりブッダ入滅の経典を読んでしまったわけですが、他のものも時間を見つけてライフワークの一つとして読み進めていきたいと思います。

2013年9月7日土曜日

第75回:「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城 徹・藤田 晋

レーティング:★★★★☆☆☆

2011年に刊行された1冊、対談かと思いきや見城さんの自筆の一言と解説2ページ、その後に藤田さんの解説2ページが続く構成です。内容は、仕事への取り組み方に関するものが殆どです。見城さん(幻冬舎社長)のかなり強烈なパーソナリティと藤田さんのわりと冷静な、良い意味でバランスの取れた解説が良いコントラストで面白いです。

非常に読みやすい一冊で、お二人のかなりのファンでなければ買って手元に置いておく必要性は感じませんが、色々と印象深い言葉が紹介されてます(さすが見城さんですね)ので、ご紹介がてら。「小さいことにくよくよしろ」(小さいことをできない、守れない人に大きなことはできない)、「努力は自分、評価は他人」(そのままですね)、大石内蔵助の辞世の句「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」、どれももちろん解説があってこそではありますが、なかなか面白いなーと思いました。味があります。

藤田さんについてはこのブログの第40回でも「渋谷で働く社長の告白」をレビューしており、なんとなく予備知識があったのですが、見城さんの本をちゃんと読むのは初めてで、かなり極端な仕事のスタイルを持たれていることと、それを支える情熱というか熱量に驚かされます。あまりに凄過ぎてこういうアプローチはできないよな、と正直思ってしまったのですが、これに痺れる出版関係者の方なども多いのではないでしょうか。