2016年2月27日土曜日

第139回:「陸軍中野学校」斎藤 充功

レーティング:★★★★★☆☆

小学生のころから戦史ものが結構好きで、男子であれば多かれ少なかれそうだとおもうのですが、よく読んできました。そんな中で何度か満州関連の書籍やインド関連の書籍で出てきたのがこの「中野学校」です。この著者のもの含めて類書がいくつかあるので一般的にもそれなりに有名だと思うのですが、陸軍が設立し、終戦まで続いたいわるゆ諜報専門の学校です。知らなかったのですが、この中野学校と補完関係にある登戸研究所というものもあって、そこが諜報活動を支える各種の機材などの研究・開発をしていたということです。そんな昭和史に7年しかなかったこの学校は、2000人ちょっとの卒業生を世に送り出し、その概略や卒業生へのインタビューを記録したのが本書です。

まず、戦前の日本がロシア、朝鮮半島、中国大陸などを中心に壮大な諜報網を張り巡らし、強い危機感をもって情報収集にあたっていたことがわかります。またそのための要因を体系的に育成するための学校を(もちろん表向きはただの陸軍学校でしたが)を設立し、カリキュラムを整備してプロを養成していたことは、現代とは隔世の感があってとても興味深いところです。OB等への熱心な取材もあって、教科一覧なども出ています。そして、これらの諜報員は商社のような民間会社などに紛れ込んで諜報活動を行ったり、大使館などに送られたり、さらには最前線に入って原住民工作などを行っていきます。そのバイタリティーたるやものすごいものがあり、日本人は内向きとか島国根性といった通説はまったくもって(少なくとも特定の時代状況においては)当てはまらないことがわかります。

本書で特に興味深いのは、OB等へのヒアリングにより、存命者を中心に戦争後の姿を描いているところです。ある人はシベリアに抑留され、ある人はGHQに協力し、ある人は公安調査庁に進んだり、ある人は実業に身を投じたりということで本当に多彩です。その中で印象的なのは、誰もが中野学校について話したがらず、同校についてプライドをもっているようですが、一様に手放しでの肯定評価はしていないところです。学校の性質を考えれば当然そうなのかもしれませんが、戦後も数奇な運命に巻き込まれてしまった方が多く、また存命者が相当の年齢に達していることを考えると、人の運命や生死を簡単に捻じ曲げる戦争のむごさを感じる次第です。

最後に下山事件や戦時中に日本軍が行っていた貨幣偽造や大量の裏金作りはあまり知らなかったので、勉強になりました。なかなかにマニアックな本ですが、近代史としても読める充実した内容になっていますので、ご興味ある方はぜひ。

2016年2月21日日曜日

第138回:「ソロ 単独登攀者 山野井泰史」丸山 直樹

レーティング:★★★★★★☆

人物ドキュメンタリーの一冊です。特に理由はないのですが、この書評で取り上げることの少ないジャンルです。特に理由がないと書きましたが、要は他人が誰かについて書いたものがあまり好きではないのかもしれません。なかなか手触りがなく、まだ存命の方についての本ならなおさらです。しかしながら、本書は期待を大きく上回る一冊で、とても面白いものでした。ちなみに1998年に初版ですので、結構な年代物です。

まず山野井さんは、本書の出版元である「山と渓谷社」が出す雑誌の人気投票で知りました。なにかとランキングの多い雑誌で、例えば好きな日本アルプス、とか好きな登山ギアブランドとかしょっちゅうランキングを付けており、たしか2015年末あたりの号に好きな登山家といったランキングがあり、そこで1位だったか2位になられていたのが、この山野井さんです。そのときは恥ずかしながら名前しか知らず、Wikiなどで調べてみると、びっくり。とてつもないアルパイン・クライマーであり、それこそ現代では世界を代表するといっても全く過言にならない方だと知りました。そんなこんなで図書館をぶらついているときに、偶然見つけてすぐに借りました。

本書の素晴らしいところは、率直な著者の姿勢です。取材対象である山野井さん(夫妻)を過度に称揚することはなく、むしろ普通の人の視線でやや辛辣な嫌いさえあります。他方、著者自身もロック・クライミングをやっていたようで決して山が嫌いではなく、むしろ山に取りつかれた山野井さんに徐々に好感を抱いていきます。そしてなにより本書の面白いところは山野井さんの破天荒な生き方です。すでに小学生からある「登る」というキーワード一つに、高校から本格的にのめり込むさまは正直に言って異様であり、すこし理解しがたいところがあります。また、次々と名声を打ち立ててからもさらに危険に接近し続けるようにチャレンジを続けています。本書以降にも本当に危険なクライミングを繰り返しており、重大な怪我を何度かされているようです。。。

こういう激しい登山のジャンルがあるとは知らず、さらにこの方のような激しい登山に取りつかれた生き方があることも知りませんでした。これは真似しようとしても(真似しようと思いませんが・・・)真似できない世界ですが、彼が見たもののすさまじさは何となく感じることができます。ぜひ続編を作っていただきたい一冊です。

2016年2月3日水曜日

第137回:「ユニコーン」原田 マハ

レーティング:★★☆☆☆☆☆

副題は「ジョルジュ・サンドの遺言」であり、その名のとおり19世紀フランスの作家ジョルジュ・サンドと彼女が魅入られたタピスリーの話です。単行本で読みましたが、小説というよりは、国際線の機内誌にありそうなちょっと長めでおしゃれな感じの小文といった感じです。そういうセッティングで読めば特に文句もないのですが、残念ながら文章の密度はとても低く、おそらく私が1300円+消費税を出して買っていたら、たぶん率直に怒っていただろうなという一冊です。

前作の「楽園のカンヴァス」が素晴らしかったのに、そう違わないタイミングで刊行されたこの書下ろしがなぜこういうクオリティなのか大変不思議です。文体や主題からして作者ご本人が書かれているのは相違ないと思うのですが、物語があまりに短く、余韻も深みもあまりなく不思議です。おそらくですが作者はジョルジュ・サンドについて良く調べ、関心を十分に持っているのに、自身が知っていることをあまりに捨象してしまい、サンドの本当に一部分だけ切り取ってしまっていて、結果としてほとんど伝わらない文章になったのではないでしょうか。

図書館で借りるにしてもあまりお勧めはできません。作者のファンであれば読む価値はあるかもしれませんが、それでも相当時間を持て余している方のみでよいものと思われます。

2016年2月2日火曜日

第137回:「楽園のカンヴァス」原田 マハ

レーティング:★★★★★☆☆

ある大先輩に一度勧められ、今度読んでみようと思いつつ少し時間がたち、ひょんなことから読む機会を得ました。原田マハさんという方は、お名前も知らなかったし、正直そこまでメジャーな方でもないと思いますが、いろいろと調べてみると多作の作家のようです。また、美術を題材として多くの作品を書かれていて、初めて読んだ本作は大先輩が進めるとおり、とても素晴らしい作品でした。

題材は表紙に描かれている絵を描いたアンリ・ルソーです。フランスの画家であり、ピカソのような大家と比べると評価がやや別れるところですが、はっきりとした色遣いで、ややもすると芸術的というよりはポスターのような絵にも見えるところが特徴です。長いこと徴税官などを勤めたことから、日曜画家(良い意味ではないですね)などと呼ばれたりもするようですが、本人の一生を主題としながら、若き美術研究者とキュレーターがそれぞれのプライベート・ライフとキャリアを抱えながら交錯するというものです。

まず印象に残ったのは作者の筆致のペースが乱れず、読みやすい文章を書かれる点です。美術が題材ではあっても、過度に描写的でなく、わざとらしい感じがありません。むしろ文章はすっきりと無駄がなく、おそらくですが、それなりのページ数にもかかわらず相当推敲された渾身の作品なのではないかと思います。次に作者の美術への情熱とルソーへの強い愛情です。これだけの資料を調べ、丹念に想像も交えながらルソーのそのひたむきさや情熱を再評価して世に問いたいという強い意欲を感じます。また、作品はバーゼル(スイス)ののどかな街を中心にしながら、20世紀入り前後のパリ、現代の日本と米国も描かれており、時代、地理的な広がりを獲得しており、とても奥行きのあるものとなっています。

美術は全然わからないのですが、MOMA、大英、ルーブル、エルミタージュ、テート・モダンなどに行く機会に恵まれ、そのどれもかなりよい思い出として心に残っています。その中で正直ルソーの絵をみたかどうか覚えていないのですが、どうも日本にも、それも身近な美術館にあるようなので今年中に一作は生で見に行きたいと思っています。