2017年1月28日土曜日

第163回:「幸せになる勇気」岸見 一郎、古賀 史健

レーティング:★★★★★☆☆

本書の1作目に当たる「嫌われる勇気」はベストセラーになったようで、まだ書店で時折見かけます。この作品はその続編という位置づけのようで2016年の2月に刊行されました。図書館でずいぶん長く待って今月読みましたが、内容としては前作を要約しながら、より掘り下げてアドラーの考え方や現実世界でどう実践していくかということが書かれています。

アドラーは本書でもフロイト、ユングに次ぐ心理学者の一人と書かれていますが、その評価は(日本だけなのかもしれませんが)よくわかりません。そもそも研究対象としているものがかなり違う感じがします。アドラーはむしろ社会心理学のような人と社会のつながりにフォーカスを当てているようで、哲学的な趣があります。

さておき、本書はアドラーをほとんど知らない私にとってとても面白いものでした。備忘的に書くと、アドラーは行動面の目標として、①自立すること、②社会と調和して暮らせることを掲げ、そのための心理面の目標として、①わたしには能力がある、という意識、②人々は私の仲間である、という意識を掲げているそうです。どれもごくまっとうです。また、他者に対しては尊敬を持つこと、すなわち「人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと」(エーリッヒ・フロム)が肝心であり、更に条件付けを伴う「信用」と無条件の「信頼」は大きく異なるものであり、後者は結局自分への信頼がないとできないことなどが説明されます。ほかにも人生の主語として「私」を超越していくことの重要性や承認欲求の奴隷にならないこと。過去は実際は存在しないに近く、都合よく引っ張り出すことで、今、これからなにかをしないことの言い訳にしない、など色々と耳の痛い言葉が並びます。なお、教師や親は生徒や子供を褒めない、叱らないというのもユニークで面白いと思います。結局これらの行為は依存を深め、結局人は自分でしか変わらないということを喝破します。それよりは尊敬し、寄り添うのだ、ということを説きます。ここは人間関係の問題は「課題の分離」、すなわち誰の問題か、ということで処理できるというアドラーの考え方にも通じています。

少し理想主義にすぎるきらいはありますが、とてもシンプルで正論ですが深い内容だと思います。1作目は読んでいませんが、多くの人の心をつかんだ理由が分かります。ぜひおすすめの一冊です。

2017年1月15日日曜日

第162回:「砂のクロニクル」船戸 与一

レーティング:★★★★★★★

あけましておめでとうございます。本年のレビュー第1作となります。本書は、私が昨年下期を使って読んだ大作「満州国演義」を書かれた船戸さんの代表作となります。上下2巻(文庫)で読みましたが、とても密度が濃く面白い作品に仕上がっており、まさに代表作という感じです。

今回の主人公はクルド人です。私がクルド人という言葉を初めて聞いたのは湾岸戦争のあたりだったと思います。なんでもイラクにはクルド人という少数民族が居て、サダム・フセイン政権がそれはそれは弾圧しているというニュースを聞いたことがありましたが、詳細はよく知りませんでした。本書はイラン革命あたりから話が始まりますが、イラン・イラク戦争においても重要なプレーヤーとして登場し、国家を持たない悲劇の民族として存在していることを知りました。

あまり書くとネタバレになりますが、イランに潜入しているある日本人とロンドン・モスクワを舞台に活躍する日本人がカギを握ります。やや非現実的な設定ではありますが、悲壮なクルド・ゲリラやイラン国内の活動家とイランの国家を支える革命防衛隊などとの厳しいせめぎあいが続きます。中東の紛争は(多くの紛争がそうですが)とても残酷で悲惨なイメージがありますが、まさにそれを地で行く救いのない展開が続いていきます。本書に深みを出しているのは、クルド人活動家の観点、革命防衛隊の視点、日本人からの見え方が同時並行的に進んでいくところです。

下巻は実際の武器密輸取引の実行段階に入ります。スケール大きく、ロシアやカスピ海が出てきて、主要な登場人物が集結して息もつかせぬ展開となります。ここらへんの重々しい持っていき方は船戸さんの超一流の技術であり、本当に読ませます。なお、本作は石井光太さんの解説も秀逸です。立場では極端な人ばかりが出てきて良し悪しとは別の次元になりますが、革命防衛隊はイスラム革命に、クルド人はクルドの独立に、ゾロアスター教徒は宗教再興に、武器商人は商人としての信念にそれぞれ殉じていき、そのぶれなさに本書のフォーカスがあるように思います。なお、1992年の山本周五郎賞受賞作品ということです。