2013年3月31日日曜日

第63回:「風の歌を聴け」村上 春樹

レーティング:★★★★★★☆

1979年の村上氏のデビュー作品です。これで読むのは恐らく三回目くらいです。前回レビューした「スプートニクの恋人」を読んで、また村上作品を読みたくなりました。3月は会社の異動や海外からのお客さんなどが多いので時間がなく、新たな本を調達するのも難しいため、まずは近くのものをということで読みました。もちろん村上氏の待望の長編が4月に発売になるため、勝手に気分が盛り上がっていることもあります。

本とは直接リンクしませんが、今日は重い一日でした。高校時代同じ部活で三年過ごした友人が去年の秋に急死し、いろいろ経緯あり、僕たち友人は今年1月に知ることになりました。その後、やっと都合がつき、同じ部活にいた友人と合計三人で御両親を訪ね、遺影に対面してきました。

不思議な気分でいまだに信じられませんが、親御さんに会うとまた最初に聞いたときとは別の種類の悲しみが込み上げ、やりきれませんでした。まだ三十代でいろいろやりたかっただろう友人、無念であり残念でしかたありません。部活の合宿で夜遅くまで騒いだことや、熱い夏に逃げるように入ったマックで何時間もバカ話をしたことを思い出します。あれからそれぞれに人生を歩んで来たわけですが、もう会えなくなるとは(当然ですが)まったく想定できなことで、その取り返しのつかなさに呆然とします。ご両親は、亡くなった友人に「いつもみんなのそばで見守って、護ってね」とおっしゃっていました。まだ生きる我々にできることは、自分の人生を一生懸命に生きることぐらいかもしれません。できれば生き続けられなかった友の分も。

作品に戻ります。青春への別離、というのが一つのテーマです。村上氏が29歳の時に書かれたものだそうで、ところどころに実体験を思わせるリアルな描写が出てきます。かなり異色の作品であり、いま読んでもどう評価していいのか僭越ですが迷います。この作品は群像新人文学賞を取っており、当時かなり賛否が分かれたと聞いていたので当時の選評を探してみました。結果、驚きました。評価委員には大家が並んでいるのですが、かなり好意的に高い評価を与えています。以下、ちょっと引用してみます。

佐多稲子氏:『風の歌を聴け』を二度読んだ。はじめのとき、たのしかった、という読後感があり、どういうふうにたのしかったのかを、もいちどたしかめようとしてである。二度目のときも同じようにたのしかった。それなら説明はいらない、という感想になった。

クールな感想ですね。かっこいいです。

丸谷才一氏:村上春樹さんの『風の歌を聴け』は現代アメリカ小説の強い影響の下に出来あがったものです。カート・ヴォネガットとか、ブローティガンとか、そのへんの作風を非常に熱心に学んでゐる。その勉強ぶりは大変なもので、よほどの才能の持主でなければこれだけ学び取ることはできません。昔ふうのリアリズム小説から抜け出さうとして抜け出せないのは、今の日本の小説の一般的な傾向ですが、たとへ外国のお手本があるとはいへ、これだけ自在にそして巧妙にリアリズムから離れたのは、注目すべき成果と言っていいでせう。

丸谷氏にこれだけ言われたら作家冥利に尽きますね。ちなみに村上氏は、この作品と(私もかなり好きな)「1973年のピンボール」は初期の未熟な作品として海外翻訳を許可していないそうです。

私がこの作品を好きなのは、幾つか理由があるのですが、わけのわからなさと一貫して流れる哀しい感じが秀逸です。会話は断片的で、学生運動における運動側の敗北を示唆するところがあったり、若者の乱れた生活の害悪のようなわりと普通なことも描かれていますが、どれも本当にぶつ切りで話は妙にぼかされています。しかし個別のストーリーを良く分からなくしているが故に、結局「全て過ぎ去ってしまう」のだ、という哀感がくっきりと浮かび上がってきます。

「ノルウェイの森」ではより顕著になりますが、別離は初期の村上氏の大きなテーマです。本当に別離を経験することは、体にも心にも堪えます。友人のご冥福を祈りたいと思います。