2022年12月29日木曜日

第243回:『大聖堂』ケン・フォレット

レーティング:★★★★★☆☆

約一年ぶりの投稿になってしまいました。少しまとめてレビューしようと思いつつ、4月頃から私の住んでいるところはコロナが落ち着き、年後半には仕事も一気に活発化し、また予想しない出来事も重なりついぞ年末ぎりぎりになってしまいました。年内はこれが最後になると思いますが、年明けにでも今日再開したレビューを継続していきたいと思います。バックログが結構あります。

年末なので今年を少し振り返ると、2月にはロシアによるウクライナ侵攻があり仕事も間接的に影響を受けました。何より非道な戦争が一方的に始められ、多くの市民や軍人が日々犠牲になり続け、それを止める有効な手段もないことは改めて恐ろしいことだと思います。思えば、昨年2月にはほとんど誰も予測できなかったミャンマーでのクーデターが起きました。たまたまいずれも2月でしたが、こうしてみると来年も再来年も予想できなかったことが起きる可能性というのは十分に認識しておかないといけないと思います。もちろん良いことも色々とあり、霧がはれるように少しずつコロナの流行が下火になり、ここ2年できなかった出張や大人数での宴席などが再開できて、改めて対面で話をすることに重要さとか楽しさを感じました。また、日本的にはサッカーワールドカップはポジティブ・サプライズになり、知人たちと予選をバーで見て盛り上がったのもとても良い思い出となりました。

読書に関して言えば、忙しさが増した後半は少し減速したものの、複数の長編に取り組むことができて充実していたと思えます。今回レビューする大聖堂はケン・フォレットさんの大作となります。文庫版で購入しましたが600ページくらいが3冊と非常に厚みがある本でした。ファンタジー的な要素は少しありますが、大半は地に足の着いた、能々下調べのなされた大作です。イギリスを中心として王権と神権の相克、大聖堂に命を懸ける人々の生きざま、市井の人々がさらされる脆弱さと力強さ、聖と俗、そういったものを描き切った作品なのではないかと思います。欧州に仕事でもプライベートでも行けるチャンスが現状はとても少ないのですが、もう一度、昔欧州で見たいくつかの聖堂を訪問してみたくなります。昔は少し陰気な感じがして、近寄りがたいものだと感じていたのですが、また違って視点で見られそうです。

なお、本書はイギリスが舞台ですが、キリスト教やその歴史への理解、英国史の知識などがあるとより楽しく、深く理解できそうです。残念ながら私にはどちらもなかったのですが、その分とても勉強になり、そして新たな感じを得られる作品というところを感じました。この方面に関心がある方や長編叙事詩が好きな方には大変おすすめです。ただ、繰り返しになりますがとても長いので気長に読んでいくことが必要になります。

2021年12月19日日曜日

第242回:「人生の短さについて」セネカ(中澤 務 訳)

レーティング:★★★★★★☆

久々に読んだ古典になります。この本がお勧め、というようなウェブの記事は関心がありちょくちょく見ているのですが、その中で出てきた一冊です。実はかなり売れている一冊のようです。3篇収録されており、他は「母ヘルウィアへのなぐさめ」と「心の安定について」となります。3篇ともとても含蓄のある内容でとても好きですが、特に最初と最後が素晴らしいと思います。人生の短さについては、何が有意義がよく考えること、意味のない仕事をどれだけしても大した意味はないといったことが書かれています。今の人々は自分も含めて日々仕事に追われ、メールに追われ、私生活でもやることがたくさんあるので、なかなかに耳の痛い内容になっています。

また、「心の安定について」はこれまた秀逸です。親族への手紙の形を取りながら、財産について、仕事について、友人について親身に助言をしていきます。独特の世界観が示されていきますが、とても率直かつ分かりやすく、心を打つ内容になっています。ローマ時代から2000年を超えて、このような普遍的な内容が残されていることは本当に驚きですし、それだけ時間が経っても人が考え悩むことは同じなのだとハッとさせられます。そう考えると、飲み会で私が友人、知人とだらだら話している内容は2000年前の人たちが聞いても特に違和感のない内容なのかもしれません。

古典を読むことの良さは現代を相対化できることにありそうです。要は自分が考えていることは昔の人も考えていたし、逆に昔の人の考え抜いた知恵があること、それは回答ではないですが一つの心温まる支えになる感じがします。

2021年12月11日土曜日

第241回:『プライベートバンカー』清武 英利

レーティング:★★★★★☆☆

知り合いと飲みに行っていたときに、ちょうどその店がこの小説の舞台の一つになっていると聞き、買ってみました。シンガポールを舞台に日本の富裕層とそれを顧客とするプライベートバンカーたちが何を考え、そして日本の金融当局がどのように課税を強化してオフショアへの富の移転とせめぎあっているか、そういう話になっています。小説のようですが実名ノンフィクションとなっており、確かに文体も独特でドキュメンタリーのような小説のような感じです。

シンガポールの狭い国土で繰り広げられるやりとりが身近に感じられ、同国になじみのある方々には面白い内容ではないでしょうか。本書に名前が出てくるプライベートバンクは最初架空のものかと思っていましたが、この前オフィスビルを発見し、本当に実在することが分かりました。初刊が2016年ということで、日本の富裕層の状況も変わってきており、さらには本書でも詳細に触れられている通り日本の金融当局の締め付けも進んでいるということで、この2021年ではまた違う状況になっているんだろうと想像しますが、それでも外資系金融機関には日本人のプライベートバンカーが複数いらっしゃり、やはりそれなりの富裕層やその資産管理が行われているのだろうと思います。

また、日本人相手に限らずファミリー・オフィスといって世界中の資産家の資産運用を行う小規模な運用会社が数多く立ち上がっており、また、シンガポール政府もこの動きを促進しているため、今後も金融資産のセーフヘブンとしてのシンガポールの地位はますます向上していきそうです。プライベートバンクに預けるような資産のない私には全く無縁の世界ですが、こういう世界もある、というのは知識としてはなかなか知られて面白かったです。

本年もあっという間に残り少なくなりましたが、もう1冊レビューをアップしていない本があるのでそちらも年内に上げたいと思います。

2021年8月9日月曜日

第240回:「仕事と人生」西川 善文

レーティング:★★★★★☆☆

有名な経済界の方々が書く本は多数あり、そのうち少なくない冊数を読んできましたが、日本の経営者の書いたもので読みごたえがあったのが西川さんでした。昨年の9月に亡くなられてしまいましたが、若き日の住友銀行でのエピソード、バブルの後処理に奔走する姿、新たな時代の三井住友銀行の経営、その後の郵政などへのチャレンジと本当に波乱に満ちたキャリアを送られ、そのどれもが容易ではなく、成功しても何らかの批判が付きまとう非常に厄介なものだったと思います。旧住友銀行についてはほかにも複数の方々が本を書かれていますが、どれもバブルやその前の時代を描いたものが生き生きとしてそれだけ活気のある銀行だったんだろうなと感じることがあります。

今回の一冊は西川さんがキャリアを振り返りながら、新人時代の思い出、その後身に着けていったスキル、忘れてはいけない心構えなどを非常に分かりやすく説いています。正直に言えば西川さんの以前の著作と重複する部分はそれなりにありますが、とても短く簡潔にまとまっており、若い人が西川ワールドに入っていく格好の一冊になるものと思われます。それにしても中身はどれも納得の行くもので、なにより素晴らしいのは偉ぶることもなく、奢ることもなく、淡々と自分はこのようにやってきて、こういうことが役に立ったと書いていることです。志願しての米国長期調査などはあったものの海外在住や海外留学といったご経験はなかったと思いますが、考え方はとても合理的で無駄がなく明晰です。

そしてなにより惹かれるのはその気骨です。自分はやらねばならないことをやる、正しいと思ったことをやるという根本があり、変に空気を読んでこうしろとか出世のためにはこんなこともしてきたというド根性立身みたいなエピソードは少ないです。もちろん気遣いも配慮も人一倍あった方だったんだと思いますが、そういう面はあえてかもしれませんがほとんど触れていません。しかし、部下たちからいかに慕われていたか垣間見えるエピソードもあり心が温まります。20代、30代にお勧めの一冊です。

2021年7月11日日曜日

第239回:「国銅」帚木 蓬生

レーティング:★★★★★★★

お勧めの歴史もので挙げられていた一冊です。帚木さんの著作は今まで読んだことがなかったんですが、今回読んで、本作のクオリティに感動しました。国銅は東大寺の大仏造営を軸に青年の成長、8世紀の技術、国家、厳しい一足の生活、仏教の大きなうねり、人間愛、生と死が余すことなく描かれています。解説でも書かれていますが、本書の最大の工夫は抑えた筆致で、いたずらに出来事を盛り上げすぎることなく、暗くなりすぎることなく、しかし決して明るくはないトーンで約440ページが書ききられたことだと思います。描写は細かく、延々と続くため、途中で少しペースが落ちることがあったのは正直なところですが、下巻の後半の旅路では主人公の国広と一緒に故郷を目指すような気分になりました。それだけ丁寧に長い生活を一緒に追っていったことで感情が移入されていたのだと思います。

大それたドラマを丁寧に避けているのですが、その中で浮かび上がってくるのは生命への賛歌であり、生活を日々まともに一生懸命送っていくことへのエールです。いやになるようなことやつまらないと思うようなことが日常にはたくさんあると思いますが、そのどれもこれもが生きることの一部であり、全部であるというのが伝わってきます。多様な僧侶の生きざま、なにを大事にして変わらずに生きていくかということを突き付けられます。悲田院に生きる僧侶、故郷で誰も知られずに仏像を彫ること、どれも名声や富とほど遠く、下手したら誰にも気づかれず終わってしまう営為かもしれませんが、それを誰かが見ているんだぞと著者は言っているように思えます。

2003年に刊行とありますが、文庫版の奥付をみるとすでに本年で5刷とのこと。地味かもしれませんが良質な作品が読者の心に届いていることを感じます。次に機会があればかならず東大寺に足を運んで、それを作った人々の長い労苦に思いをはせながら東大寺大仏殿を訪れたいと思います。

2021年6月12日土曜日

第238回:「2030年すべてが「加速」する世界に備えよ」ピーター・ディアマンディス&スティーヴン・コトラー

レーティング:★★★★★★☆

かなり売れているという一冊。普段あまり読まない類の本ですが、世の中の変化の速度がかなり上がってきていて今後数十年続くと思っていたことがどんどんそうではなくなっていることを実感していて、何が起きているのかという興味から読みました。この本が言わんとしているところは、コンピューターの計算速度、ネットによる情報共有量やスピード、そして各種の工学、化学技術の深化で素材や製法について急速に高度化が進行しており、重要なことにはコンバージェンスといって情報技術を中心としてこれらの多様な領域が融合し、相互作用しながら今までにない技術が出来上がっているということ。

この影響は広く深いので、小売りで言えば店舗の位置づけが根本的に変わる、広告は高度にパーソナライズされる(星新一的世界)、エンターテイメントもARと結びついて個別化へ、また医療はロボットや人工臓器、寿命延長が普通のものになり、都市化がさらに進んでいくというもの。SFで読んでいたような世界が本当に広がりつつあり、それのスピードはさらに加速していくというのが著者たちの主張です。人間は本質的に変わることを嫌がる(怖がる)ので読者は嫌な気持ちになるかもしれないけれど、これらの深化は決してネガティブなものではなく、健康や安全の実現、環境問題への急速な対応など、様々なポジティブな結果をもたらすこと、さらには失われる仕事も多数あるけれど新たに作り出される仕事がそれを上回ることもしっかり説明されています。

昨今はコロナもあり、人間が世界の変化についていけていない気がしますが、これからはもっと激しく変化していくことを前提として認識しておけば、いちいち驚くことも落胆することも少なくなることと思うので、そのメリットを最大限生かしていくことを考えたいと思います。非常に説得力のある一冊ですし、売れている理由もよく分かりました。

2021年5月9日日曜日

第237回:「中国の外交戦略と世界秩序」川島 真 他編

レーティング:★★★★★☆☆

珍しくとても固い本です。仕事柄直接ではないですが中国に関係することがあるので、一度、一帯一路といった中国の現在の外交思想がどうなっているのかについて勉強しようと思い立って買った本です。Amazonのレビューでは現代中国研究に欠かせない一冊といった高い評価があり、また執筆者も一線の先生ばかりとなっています。

序章は全体を俯瞰するサマリーのような形になっており、第1部は中国の世界秩序観と対外政策、第2部はアフリカと中国、第3部は中国と周辺、中南米地域となっています。読者によってニーズは異なると思いますが、第1部は一帯一路の戦略的なあいまいさを丁寧に説き起こしていきます。また、丹念にテキストを負うことで改革開放との比較を行っているのもとても興味深いです。また、対外援助分析は中国の援助の歴史を紐解きながらどのように内部体制を整備し、また反省を活かしながら進化しているかが書かれています。

第2部はその名の通りアフリカへの援助と投資について書かれていますが、中国はぽっと出で資金攻勢を行ったわけではなく長期ビジョンに基づいて、時には自国産業の要請に後押しされて資金のみならず外交や草の根を含めた膨大な時間とリソースを投入してきたことがわかります。第3部は特に対メコンの分析が興味深いのですが、かなり中国寄りの観点で書かれているので、一部、少し一方的かなと思われる分析があります。

なお、一部の章で数字の複数の脱落や誤字が散見されるのはこの種の学術書としては残念な思いがしました。