2019年12月31日火曜日

第228回:「親鸞」五木 寛之

レーティング:★★★★★☆☆

興味がありながら手が出ていなかった一冊です。厳密には上下巻2冊で後に「青春篇」とサブタイトルが付けられる親鸞三部作の第一作に当たるものです。世俗との交わり、弟たちを置いての出家、比叡山からの下山、そして流刑としての新潟への旅立ちまでが綴られます。

我ながら親鸞について改めてなにも知らないことに驚きつつ読みましたが、法然という素晴らしい師を得るものの、一度若いころに聞いた法然の話の良さはよくわからなかったり、色々な女性に思いを寄せたりと人間らしい親しみやすさを前面に出しつつ、修行に厳しい態度で妥協なく励み続ける若き日々が活写されています。また、黒面法師といった悪役が、歌舞伎のように分かりやすく描かれており、ここのあたりは賛否両論あると思いますが、活劇調でぐいぐい引き込まれていきます。さすが人気作家というところです。

親鸞は浄土真宗の宗祖とされており、阿弥陀如来に念仏を唱える、そのことだけで良いという法然の考えを継承して広めていきました。法然の考え方はシンプルですがとても影響力が強く、それゆえに複雑な教義や論理を力の源泉とする比叡山と鋭く対立して弾圧されていった過程は驚くばかりです。また読み進めていくと当時の末法といわれていた時代のとてつもない貧困や不衛生、医療の不在などが見えてきます。そして11月末に久々に行きましたが鴨川のあたりの壮絶な社会風景も浮かび上がってきます。色々な問題は現代にもあるわけですが、基本的な社会ニーズがいかに充足されてきたかを考えると、先人には感謝しないといけないと感じます。

現在、第二部を読んでおりこちらも大変面白いので読み終わったらレビューしていきたいと思います。

第227回:「小説帝銀事件」松本 清張

レーティング:★★★★★☆☆

またまた前回の投稿から2か月ほど空いてしまいました。この10月から年末までは仕事を始めて以来といってもよいかもしれないほど色々な案件が同時進行し、深夜残業ということはありませんでしたが、あらゆる方面に気を回さないといけずとても忙しかった実感があります。また、夏から時間のかかる趣味に取り組んでおり、そちらに会社帰りの電車の中の時間などを大きくとられています。そんな中ではありますが、3冊ほどストックがあるので、一部は年明けに掛かってしまいそうですが、順にレビューしていきたいと思います。

標題の作品は今や昭和の遠い昔の作家になってしまいましたが、大家である松本清張さんの作品です。帝銀事件というのは聞いたことはあったのですが、昭和23年1月26日に起きた帝国銀行の都内支店職員に対する毒薬投与の事件であり、大変衝撃的な内容となっています。本書ではGHQの影響が強く示唆される書き出しとなっていますが、本書を通読しても真相はよくわからず、捕まった方が真犯人であったのかどうかも含めて謎が多いところです。1点分からないのは、GHQの関与とは陰謀説的にはありそうですが、いかなる動機がありえたのかという点です。帝銀が占領政策に反対するようなことをしていたとは思えませんし、731部隊関係者が関与していたとしても積極的にGHQに協力する動機は思い浮かびません。松本さんはこの事件について「帝銀事件の謎」という本も書いているそうですので、そちも読んでみたいと思います。

例年本離れ、雑誌離れが叫ばれますが、確かに家計の使う本への消費額は実感としてもかなり減っている気がします。親の世代に比べて図書館や古本屋も充実していますし、簡単なコンテンツならネットで拾える(除く小説)ようになってきました。本を読むことが良いことだという単純な価値観は持っていませんが、電車やバスで本を読む人々の姿が本当に皆無になりつつあることは寂しい気がします。よい本があればしっかり書店で購入し、少しでも出版界の支えになりたいと思います。

2019年10月6日日曜日

第226回:「筋トレが最強のソリューションである」Testosterone

レーティング:★★★★★☆☆

前回のレビューからずいぶん時間が空いてしまいました。夏休み後から仕事がやたら忙しく、更にはお盆ぐらいから久々に将棋にハマってしまい、会社帰りなどの相当の時間を将棋に使ってしまい、純粋な読書量がかなり減少しています。純粋なという意味は将棋の本は数冊読んでおり、将棋関連以外の本を指しています。

それはともかくとして、図書館に予約してから彼此1年くらい待ってようやく届いた本がこちらです。本屋でも平積みですし、新聞広告などでも目にされる方が多い一冊かと思います。昨今、高齢化に伴う健康意識の高まり、さらにはライザップブーム(去った?)などで健康のために筋トレが役に立つという認識が急速に広がってきた影響で、Testosteroneさんを始めとしてトレーニング本隆盛の時代を迎えていきます。

過度なものでなければ運動が健康にいいのは疑う余地がないところですし、健康であれば結果としてダウンタイムや医療費の削減に繋がるのも事実でしょうから、そういう意味でこのブームは良いことだと思います。他方、糖分満載のタピオカが流行したり、相変わらずデカ盛り番組などがたくさん流されていることを考えると、おそらく健康やスポーツに目を向ける人とそうでない人というのもまた顕著に違うのかもしれません。結局は自分で責任を負うべき選択であり、それ自体はとやかくいえませんが。

この本はまさにタイトルの通りで筋トレしたらうまくいく、そして気分も上がるという本です。特に欧米ではかなり筋トレというのは標準的な日常活動に組み込まれている感じがします。マッチョ志向とは言いませんが、男女を問わずがっちりとした肉体で健康になる(見せる)というのはかなり重要な要素らしく、健康のためにそうしているかは別として、価値観に組み込まれていると思います。そういう波が大きな意味での欧米化の一部として日本にも遅ればせながら到来してきているのかもしれません。ちょうど今ラグビーワールドカップが盛り上がっていますが、彼らの筋肉隆々とした体とプレーを見ていると、日本人の憧れの体も少しずつ変化していくのかもしれません。本書の内容にほとんど触れませんでしたが、深い言葉あり、面白い逸話あり、軽妙なギャグありで面白いです。特に10代、20代で読むとその後の大きな財産になりそうな本です。

2019年8月11日日曜日

第225回:「極夜行前」角幡 唯介

レーティング:★★★★★★★

第221回でレビューした名作と呼び声の高い「極夜行」のまさに準備段階について記した一冊です。角幡さんには失礼ですが、人気作の二番煎じでつまらない本なんじゃないかという危惧も少しだけあったのですが、至極真面目に書かれており、またそのクオリティは「極夜行」よりも高いのではないかという一冊でした。探検物が好きな方には本当にマストといえる一冊ではないでしょうか。素晴らしい作品です。

おおもとになった「極夜行」については既に第221回に結構書き込んだのでまだの方はそちらを見ていただくとして、本書の素晴らしさは冒険家角幡唯介が如何に長い年月を掛け、また用意周到に困難を乗り越えながら準備してきたがの過程がつぶさにわかることです。例えば本編ではさらりとしか触れられない六分儀について試行錯誤を繰り返したこと、デポについては何度も何度も荒らされてきたこと、またカヤックでの北極圏での長旅を行ってきたことなど、どれもが得難い探検となっています。また、その過程では自らと北極圏がダイレクトにつながり、まさに自然の恵みを得て自分が生きていき、さらに旅をアレンジしていくというダイレクトな感覚を味わうプロセスが描かれており、感動的ですらあります。

自分が道具を使いこなし、スキルを習得しながら自らのできることを拡大していく、それは生命にとって生きることと同義であるはず。旅の中でそのプロセスをたくさんの助力を得ながら実現していったこの探検は、間違いなく事前準備も含めて角幡さんの最高傑作ではないでしょうか。また、30代後半から40代前半に掛けて何かの最高傑作を残したいという角幡さんの人生観は胸に刺さるものがあります。当然、探検という肉体的な要素が強いジャンルと市井の勤め人では何をもってピークとするかは相当異なるものと思いますが、その覚悟に学ぶところ大です。

2019年8月10日土曜日

第224回:「黄砂の籠城」松岡 圭祐

レーティング:★★★★★★☆

随分前回のレビューから時間が空いてしまいました。更新頻度が落ちるときは本があまり読めていないという時もあるのですが、それ以上に仕事やらで忙しくなってしまい、なかなか家でPCを空ける時間が取れないという時が多いです。7月は色々とバタバタでしたが、やっとお盆になり一息。数冊のストックがあるので順にレビューしていきたいと思います。

さて、松岡さんの本はまだ読んだことがなかったのですが、ミステリーを中心に書かれてきた作家が書下ろしで新たなジャンルに挑んだのがこの一冊ということです。あるブログを読んでいたら、本当に面白いので読んでほしいという熱いポストがあり手を出してみました。文庫で上下2冊ですが、非常に面白くてぐいぐい読んでしまいました。

題材は歴史で習う所謂「義和団事件」であり、義和団の乱とか義和団の変などといったりもします。時は清王朝の末期、1900年のことです。予てからの日本を含む列強の中国への駐屯が進む中で、欧米諸国は宣教師を通じたキリスト教の布教に力を入れていましたが、その欧米人やキリスト教のアプローチに強く反発した宗教結社の義和団が中核となり、キリスト教会を手始めに列強の権益に反対し、ついには西太后が列強に宣戦布告をし、北京の公使館地区である東交民港を義和団と清朝軍が包囲し、壮絶な籠城戦を行っていきますが、この過程が描かれています。

その籠城戦の中では、会津という歴史的な宿命を負ってしまった藩出身の柴五郎が陸軍軍人として連合国の作戦立案、籠城戦でとてつもない働きをします。そのこと自体知りませんでしたが、日本人は一致団結して、また義勇兵も含めて献身的に働き、籠城戦成功に大きな役割を果たしたと言われています。やや一方的な日本礼賛と思えるところもなくはないですが、筆致は抑え気味でわりと客観的なのではないかと思います。また、この間の他国(特にイギリス、ロシア)とのやりとりや内紛、スパイなどは息を握る展開であり、ものすごい戦いがあったのだなと痛感しました。歴史ものとしてもエンタメ大作としてもとても面白く読めると思います。お勧めです。

2019年7月7日日曜日

第223回:「沈黙」遠藤 周作

レーティング:★★★★★★★

第219回でレビューした「深い河」に続き、遠藤周作さんの代表作です。これもいいよとお勧めをしてもらった一冊となります。さっそく読んでみましたが、題材、構成、描写、文体などどれも超一流であり、文句なしの最高レーティングです。昭和の大作家はすごいということを折に触れて描いていますが、その凄まじさを印象付けるに十分な一冊です。中学以上の学生さんにも十分読める内容だと思いますので、ぜひ夏休みなどに読んでみるとよいのではないかと思います。

テーマはキリスト教、布教と弾圧、さらには神の沈黙、そもそも信仰とは何かというところまで掘り下がっていきます。そんなに分厚い本ではありませんが、司祭や信徒に待ち受ける過酷すぎる運命を通じて、これらが浮き彫りにされていきます。作品の内容としては決して明るくありませんし、読んでいると頭からどんよりと暗い気分になりますが、それほど作品がもつパワーが強いということかと思います。

作品は、じわじわと繰り返される疑問、なぜ沈黙なのか、なぜ何の救いも与えられないのかという点を軸に進んでいきます。そして最後まで沈黙は破られず、救いも与えられませんが、その中で葛藤し、答えが見いだされていきます。基本的には信仰の葛藤を描いていると考えられますが、シニカルな見方をすればそこまで信じる価値のあるものは何なのか、ただの自分勝手な思い込みに過ぎないのかという見方も成立するのではないかと思います。ここらへんの分岐は、そもそもキリスト教的な見方を持てるのか、持てないのか、もっといえば宗教的な強い信仰を持ったことがあるのか、ないのかというところに左右されるともいますが、私は後者の部類なので司祭に没入するということは難しかったです。

しかしながら、個人的な信仰の有無は別として作品としての素晴らしさは全く減じることなくあります。また、歴史的なキリシタン弾圧の一つの側面が書かれており、その凄まじさを学ぶこともできます。2015年頃でしょうか、インドネシアのスマトラのキリスト教が多い地区に行ったことがありますが、そこでも圧倒的なイスラム圏におけるキリスト教の存在を目にして、ずいぶん驚いた記憶があります。良作中の良作といってよい一冊であり、ぜひ読んでいただきたいと思います。

2019年6月30日日曜日

第222回:「植村直己、挑戦を語る」文藝春秋編

レーティング:★★★★☆☆☆

前回レビューした角幡さんの先達であり、北極圏の冒険で名をはせた植村直己さんの対談集です。この本自体は平成16年で刊行されており、すでに15年前の作品となります。植村さんは1984年、昭和59年に消息を絶たれており、私の思い違いかもしれませんがニュースで行方不明の速報があり、この人はどういう人なのかと父に聞いた覚えがあります。植村さんが43歳の時の話です。

私にとってはごく小さいころに亡くなられた植村さんの名前は、色々なところで見たり聞いたりすることになりました。主に登山雑誌や角幡さんのような探検家の書籍を通じてですが、やはりその極地を探検する行動力と先駆性について一様に称賛されており、いつか読んでみたいと願いつつずいぶんな時が経ちました。図書館で手に取った本書は、色々な媒体に掲載された10以上の著名人と植村さんの対談が収められています。よくわかったのは植村さんの凄まじさです。日本人としてヒマラヤに初登頂、その後、世界5大陸最高峰に世界で初めて登頂した人となります。更に、北極圏の犬ぞり(単独)12千キロ旅行、同じく北極点への犬ぞり(単独)成功。最後は世界初となるマッキンリー冬期単独登頂を達成され、直後に行方知れずとなります。その行動の密度とレベルの高さは驚愕すべきものであり、以降、同じような方は日本には現れておらず、世界的にも名前が轟きました。

面白かったのは植村さんのとても飾らない人柄と謙虚さです。ご本人は自分は社会や会社では普通にはやっていけない落伍者であるという認識を基本に持っており、それがゆえに大学を卒業してもふらふらと流れるようにアフリカにわたっていった話をされます。野生時のようなたくましさを持っている一方、少なくとも戦後の日本社会によくなじめないという感じが強くにじみ出ており、もの悲しさもあります。それにしても対談者が豪華であり、石原慎太郎、五木寛之、王貞治、堀江健一(ヨットマン)、遠藤周作、開高健、伊丹重蔵、小西政継(登山家)、井上靖、大貫映子(ドーバー海峡横断スイマー)らが並んでいます。何人かはすでにお亡くなりになっていますが、彼らの若いころの対談は現代ではNGのような発言も数多く、おおらかな時代だったことを伺わせます。

今度は、ご本人の著作を探して読んでみたいと思います。

2019年6月16日日曜日

第221回:「極夜行」角幡 唯介

レーティング:★★★★★★★

以前ツアンポーの探検についてレビューした角幡(かくはた)さんの一冊です。2018年の本屋大賞2018年ノンフィクション本大賞と大佛次郎賞を獲得した一冊です。角幡さんは、ノンフィクション分野、とりわけ探検分野(というものがあれば)では本当に伸び盛り、また円熟さも出してきている第一人者です。目が離せない作家といって良いと思います。その良さはオリジナリティのあふれる探検を自ら考え、自らの資金で実行し、それを作品にしているという点、また筆力も高く、ただの叙述ではなく、かといって過剰な叙情でもない良さがある点です。本書はまぎれもなく一線級の作品であり、こういう探検と著作を出せる人は日本にはごくわずかになっていると思います。

本作は、極夜でどこまでいけるかという題材を取り扱った一冊です。極夜とは耳慣れないことばですが、白夜の対義語で要すれば一日中太陽が昇らない状態を指します。北極圏のごく近い地域では白夜と極夜の両方が体験出来て、まさに異次元的というか宇宙的な体験ができるそうです。グリーンランドが舞台であり、角幡さんは4年間を掛けて実験的な探検から始まり、各種の技術習得、デポの設営など何度も現地に足を運びながら周到に準備をされます。その成果もあって極めて過酷な状況ながらツアンポーよりも死地をさまよう局面が少ないような感じですが、それでも毎日暗い中を犬と一緒に橇を引きながら何か月も氷点下30-40度といったなかを人力で歩きとおすのですから、大変なことです。当たり前ですが常人には全く想像もつかない世界です。

また、結婚、奥さんの出産といったライフイベントがうまく探検とマッチしてきて、ただの探検から人生や太陽といったものへの深い考察へと降りてきます。加えて今回特徴的なのは犬を同行させており、その犬との交流や協力、さらには抜き差しならない状況に陥った時の判断までつまびらかに開示されており、犬とと旅することについてもユニークな考察がなされた一冊になっています。

角幡さんは40歳ころまでに最高の探検をしたかった、これからは衰えが出てくるだろうということを書かれています。しかしながら、本書を読む限りむしろ経験を増して更に独創性のある探検ができるようになられている印象があります。次の本格的な探検がどういう形になるのかわかりませんが、大変期待しているところです。

2019年6月8日土曜日

第220回:「猫だましい」河合 隼雄

レーティング:★★★★★★☆

変わったタイトルの一冊ですが、要は河合さんが猫を題材にした本を取り上げ、心理学的な観点も交えながら解説するというコンセプトの本です。猫はいまや犬を上回る数が日本にいる模様です(といっても家猫が多いのであまり見た目にはわかりません)。私の実家でも昔は犬を歴代2頭飼っていましたが、今は(現存は2代目)すっかり猫が定住しています。いやはや。

猫はあまりなじみがなかったのですが、西の方にあった祖父母の家に黒猫が居たのを覚えています。孫が来ても初対面ですし、特に喜ぶでもなくじっと家の上の方から様子を観察していたのを思い出します。本書貫くテーマは猫の変幻自在さ、そして両義性を描きつつ、それが持つ「たましい」というものに迫ろうというものです。「たましい」というのは本当に曖昧過ぎですが、人間と動物の交歓を通じて、相互が影響を及ぼしあっている。大げさに言えばたましいが触れ合っている、そういうことが書かれていきます。

いまさら言うまでもないことですが、猫は不思議な生き物だと思います。ペットでありながら、常時媚びるわけでもなく、非常に凛としています。自由です。同時によくわからない基準で人に甘えたりすることもあります。素朴なようで何を考えているのかわからない面もあり、じっと色々なものを観察しています。そういう猫の面白さと、昔話を含めてどう人間が関わってきたかをとても面白可笑しく書いています。古代エジプトでは猫は神様で破壊的な面と母性的な面、両方を表象していたそうです。なんとなくわかるような。

第219回:「深い河」遠藤 周作

レーティング:★★★★★★★

記憶の範囲では、恥ずかしいことに遠藤周作さんの本は読んだことがありませんでした。もちろん私が10代の頃は存命であったし、母からもこんなすごい作家がいるという話は聞いていたのですが、キリスト教的な作品が多いこと、重そうな作品が多いこと、そういう先入観も手伝いなかなか読む気にならず今日に至りました。

今回、作品を読んだのはどこかの書評でこの本はすごい・・という一冊に選ばれていたためですが、読んでみて本当にすごいと思える一冊で、昭和・平成の大作家の凄まじさとその内容の豊かさに打ちひしがれました。本書は、一人の青年が大人になっていく過程で、その信仰についての葛藤を描きつつ、絵本作家、サラリーマン、そして離婚経験のある女性といった市井の人々の人生の挫折と錯誤、そして深い悲しみが描かれていきます。本書が発行された(書下ろし)のは、1993年はバブル崩壊後の社会に暗い雲が急速にかかりつつある頃でした。しかし、まだバブルの気分や要素もすぐ戻ってくるんではないかという感じもあった頃です。その時代に、こういう深みのある、そして深く人間の心をのぞき込むような一作が世に出たのは、単に作者の人生の旅というだけでなく、日本人の旅にとってもとても重要な出来事だったと思います。

素晴らしい作品であり、また小説であるためネタバレを極力避けたいとおもいますが、学生運動時代以降の大学生の精神的荒廃、昭和の猛烈サラリーマンと専業主婦家庭の安定するなかでの抑圧などが淡々と描かれていきます。大人になっても苦悩や苦しみ、そして喜びがあることを描きながら、それでも作者の心情を反映してか全体としてはもの悲しいトーンが作品を支配します。それは成長すること、老いていくことが本質的に持つ哀しみともいえると思います。

作品の主題は信仰と葛藤である、というサマリーが目につきます。キリスト教と日本人という作者が追い求めたテーマがメインであることは間違いないですが、それだけではない広い視野を持った作品です。昭和を生き抜いて生きた日本人がなにに傷ついてきたのか、それを個人個人がどのように向き合えるのかということが克明に描かれています。とりわけ私が惹かれたのはほぼ主人公の一人である女性の葛藤です。すべてを理解はできないですが、とてもよく描かれていると思います。時代を超えた素晴らしい作品だと思います。

2019年6月1日土曜日

第218回:「名場面で見る聖書」中見 利男

レーティング:★★★★☆☆☆

自分自身はミッション系の教育を受けたことがなく、また自発的にキリスト教について勉強することもなく生きてきたのですが、最近ひょんなことで聖書ってなにも知らないなと思い立ち借りてきました。聖書は旧約、新約とあるわけですが、これらすべてを通読するのは余りに骨なので、かなり安易ですがKKベストセラーズのこの一冊を入門書として借りてきました。

通読してみて、聖書の名場面はよくわかったのですが、なかなか書いてあることが理解できても、共感したり深く納得するのはかなり難しいな、というのが率直な感想です。特に旧約聖書の世界観というか歴史的な記述はなかなかすっと頭に入りません。新約聖書はもう少し一般倫理観的な観点で理解できる気もするのですが、それにしても罪人がまず最初に許される神の寛容さなど、親鸞的な価値の逆転も見られて、これまたそうだよねとすぐに分かるものでもありませんでした。

もう少し違う角度の聖書の入門書を読んでみたいと思います。また違った面白さが分かるかもしれません。

2019年5月12日日曜日

第217回:「HARD THINGS」ベン・ホロウィッツ

レーティング:★★★★★★☆

本書は起業家、CEOそして現在は業界トップクラスのVCの共同ヘッドを務めるベンさんの一冊です。2015年の日本での出版当初、非常に高い評価を受け(ベスト経営書2015に選定)た一冊であり記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。前半は実話ベースのストーリーが続きます。具体的には、著者が創業間もないネットスケープに入社するところ、その後マイクロソフトの大攻勢を受けてAOLに同社を売却、しばらくAOLで幹部として勤務。その後、ラウドクラウドという会社を1999年に創業(すでにクラウドの発想で会社を興しているのがすごいですね・・)、さらに事業は途中で苦境を何度も経験しながらIPOを実現、また紆余曲折がありHPに売却。その後、ベン自身は旧知のマーク・アンドリーセンとVCを立ち上げます。後半はこの一連のビジネス・キャリアを通じて得られた教訓を既存の経営学的な視点も織り交ぜながら、しかしあくまでも実際にどのようにCEOが会社創業者が苦労して、あらゆる辛酸をなめていくかを解説していきます。

本書の魅力は、スタートアップの創業者でしかわからないなんともいえないごたごたや大企業の大攻勢などが克明に描かれていることではないでしょうか。アイディアと(Tech系であれば)技術に賭けるという信念を武器に戦略の策定、人の採用、人事や組織の立ち上げ、製品開発、販売とありとあらゆる局面でCEOがリードしていくわけで、自分の人生や家族、そして社員のキャリアが左右される真剣ごとゆえの大きなプレッシャーがかかっていきます。その中での人間模様や難しさが遺憾なく描かれていて読み応えたっぷりです。面白いのは著者の皮肉がバリバリに聞いていながら、どこか冷静で突き放した感じもあり、とてもバランスが取れているところです。かなりの部分は、とにかく投げ出さない、諦めないことだと説きながら、他方で助言を得ることや頭で考えることも必要だと説いています。

記憶に残るフレーズがいくつもありましたが、備忘のためいくつか書き残しておきたいと思います。
「人でも物事でも、よく知る努力をしない限り、何も知ることはできない。知ることに近道はない。特に個人的な経験によって得られる知識に近道はない。努力なしの近道や手垢のついた常識に頼るくらいなら、何も知らない方がよほどましだ。」
「オーバルコースで時速360キロでレーシングカーを走らせるとき、もっとも重要なのは側壁ではなくコースそのものに意識を集中することだと教えられる。もしも側壁に意識を向けると、車は必ずそれに吸い寄せられ、衝突してしまう。コースに意識を集中すれば、車は自然とコースに沿って走る。」
「困難だが正しい決断をするたびに、人は少しずつ勇気を得る。逆に安易な間違った決断をするたびに、人は少しずつ臆病になっていく。」

2019年5月11日土曜日

第216回:「マネジャーの教科書」ハーバード・ビジネス・レビュー編集部(編)

レーティング:★★★★★★★

本書は部下を持つ立場になった新任マネジャーすべてに向けてまとめられたもので、HBRに掲載された論考11編をまとめたものです。本書はいわゆるビジネス・スクールの教授やコンサルタントが書いているものが大半であり、現実に立脚した、そうだよね、そういうことだよねという実感を伴う話が多く、とてもお勧めできます。また、自分の凝り固まった考え方、例えばAuthenticityが振る舞いにおいてとても重要である、といったコンセプトについてもそれを認めつつ、いかに視野の狭い考え方となりうるかを解説していたり(第7章)、非常に発見が多いのが特徴です。

面白いなと思うのは執筆陣はすべて外国人ですが、日本の会社の文脈でもまったく妥当性を失わず、普遍的であること。さらには結構前に書かれた論文もありますが、時代は変われどその有用性はほとんど変わらないなど、いつの時代も同じようなことを考え、悩み、組織人は生きていくのだなと感じられます。第2章の 「メンバーを変えずにチームで改革を進める法」などは非常に現実的な問いかけですし、第8章の「上司をマネジメントする」といった発想も重要でしょう(もっともこれは若い時から重要だと思いますが)。

本書は図書館で借りましたが、あまりに内容がよいので自分で買おうと思っています。久々の満点です。

2019年5月6日月曜日

第215回:「教養としてのワイン」渡辺 順子

レーティング:★★★★★★☆

今年2月の欧州EPA発効により、欧州産ワインが値下がりして改めて注目を浴びていますが、そんなワインに関する本です。著者の渡辺さんは米国の大手オークションであるクリスティーズのワイン部門でアジア人初のワインスペシャリストとして活躍され、現在は日本に戻られてワイン関連のビジネスを展開されているということです。なかなか煽りの混じったタイトルですが、個人的にはワインというものをまともに勉強したことがなかったので、とても面白い一冊です。

ワインといえば学生時代によく通ったチェーンの安い居酒屋で頼み、その水っぽさに閉口し、よいイメージがありませんでした。仕事を始めるとちゃんとしたお店でちゃんとしたワインを飲む機会もできてきて、またワインに精通した先輩も何人かおり、色々とご一緒する中で何となくこれは美味しいなとか、このブドウの種類だと好きだなというものが見えてきます。出張の機内で飲む時はワインの出自が書いてあったりして、これまた勉強になりました。日本ではワインはまだまだなんとなく気取った感じもありますが、スーパーではチリワインなどがここ10年ほど非常に安く(また安定した味で)手に入るようになり、アルパカやサンライズといったものが代表格としてよく見られます。ヨーロッパでもワインはピンキリですが、会食などでいただくことがあり、また大陸の一部の国では昼からワインを開ける習慣もあり、面白いなーと思いました。

そんななか全くバックグラウンドの勉強もなく、非常にぼんやりとした認識でいたところ、主要な地域のワイン造りの歴史、品種や産地ごとの特徴、新興ワインの来歴、さらには最新のトレンド(中国の爆買いと定着、ビジネス化)がほどよく分かりやすくまとめられているこの一冊はかなりお勧めです。一度網羅的にワインについて読んでおきたい方はぜひ。一度には頭に入らないので何度か読み返してみたいと思います。

2019年4月22日月曜日

第214回:「風紋」松本 清張

レーティング:★★★★★☆☆

またまた松本さんの一作です。これまでと同じく光文社文庫の松本清張プレミアム・ミステリーの一冊です。今回は渋い話ですが、社史編纂室にいるのんびりした室長とやる気のある若者の話です。二人の目から見た社内抗争や役員人事模様を描きつつ、従兄の少し変わり者の学者との再会から話は大きく動き出します。本書も時代背景を踏まえる必要はありますが、いわゆる健康食品の昭和前期におけるうさん臭さやそれでも流行していく様を描いています。現代ではサプリとった名前でもっと大胆に売り出されていますし、薬事法による縛りで一定の宣伝の抑制はなされているものの、その巧妙さにおいてはずっと進化しているのかもしれません。

本書は松本さんには珍しく企業を舞台として作品ですし、めずらしいことに殺人が出てきません。それにしても惹かれるのは昭和前期のカフェやバー、オフィスといった古いものです。昭和生まれだから余計に郷愁を感じるのでしょうか。なにかとても懐かしく、やたらレトロなカフェなどに惹かれる今日この頃です。単に年を取ったということかもしれませんが・・・。この一冊は血なまぐさいこともなく、テンポの良い、池井戸さんが描きそうな世界でもあります。こうして読んでみると、会社ってのも昭和前期とあまり変わってないのかな、とも思えます。そしてそこで繰り広げられるドラマも。

2019年4月21日日曜日

第213回:「分離の時間」松本 清張

レーティング:★★★★★☆☆

またまた松本清張プレミアム・ミステリー(光文社文庫)シリーズです。今年から読みはじめ、かなり面白くてのめり込んで読んでいますが、ここでややひと段落を入れようと思います。どんなに面白い作家でも続けすぎると文体に少し飽きてしまうことがあり、その感じがしてきています。いうまでもないことですが、それは作品のクオリティとは全く違う話であり、本作も松本さんの新たな作風に出会える鮮烈なものでした。

今回は代議士が主要な登場人物となっており、その死の謎を追う二人の一般人が主人公となります。松本さんの作品では一般人がひょんなことから事件に関与し、私利私欲を捨ててその事件を追いかけてしまうというパターンが結構ありますが、今回もその系統です。他方、時間の分離という非常に面白いコンセプトで、今風に言えば時間のロンダリングでしょうか、巧妙に何をしているのかわからない時間を作ってしまうというところから話が始まります。犯人にとっては何をしているのか悟られないという利点がある一方、アリバイを明確に残せないという点では結構弱いのではないかと思います。しかし、それにつけても松本さんの作品が書かれた昭和の時代と今の日本では防犯カメラの有無というのが犯罪捜査上、多きな違いをもたらしているように思えます。刑法犯の検挙率がどう変わってきているのかわかりませんが、犯罪の発生数は大きく下がり、検挙率はかなり上がっているのではないでしょうか。

話がそれましたが、本書には珍しくもう一話収録されています。これも社会派の内容ですが、「速力の告発」という作品で車社会、とりわけ交通事故を題材としたものです。連日痛ましい事故が続いていますが、アイサイトのような衝突防止装置を早期に義務化しないといけないのではないでしょうか。これから高齢者による事故は減ることはないでしょうし。

2019年4月7日日曜日

第212回:「地の指」松本 清張

レーティング:★★★★★☆☆

文庫版で上下巻の大作です。昭和中期の都議会議員、都職員、私立病院、業界誌記者、タクシー運転手、そして警察が複雑に絡み合う本格的なミステリーです。スタートは業界紙記者からですが、だんだんと官民の汚職の構造が見えてくるものの、病院という強い守秘の鎧に守られて、なかなか真相が明らかになりません。そんな中で各社の思惑が交錯する中で更なる犯罪が積み重なってきます。偶発的な事件もあり、考え抜かれた証拠隠滅もあり、とても練られたストーリーです。

今作が松本さんの作品群の中で特徴的なのは、警察の視点で語られる部分が多いことで、特に下巻はほとんどが警官の視点となります。その仮説を立てながら追い詰めていく様はとてもスリリングで、思わず自分も犯人を追っているかのような錯覚に陥ります。ネタバレになるので、ほとんど中身を掛けないところが悔しいところですが、社会的なサスペンスの要素もあり、著者が強いメッセージを込めていることが分かります。そして、昭和中期の社会の独特の悲哀も感じられます。三丁目の夕日的なバラ色の世界ではなく、いつの時代もそれなりの裏面があるということがよくわかります。

松本さんを代表する一作といえるのではないでしょうか。

2019年3月31日日曜日

第211回:「自転車三昧」高千穂 遥

レーティング:★★★☆☆☆☆

NHK出版から2008年4月(もう11年ほども前ですね)に出版された新書です。高千穂さんはSF作家だそうですが、50歳を過ぎて本格的にスポーツタイプの自転車に乗り始め、その良さについて色々な角度から書かれています。感心してしまうのは、単にMTB、ロードバイクといった単一の車種を乗りついているのではなく、ママチャリ、ミニベロ、ロードバイク、ピストバイクといった多種多様な自転車を試し、それらを場面に分けて柔軟に使いこなしているところです。なかなかそういう探求心のある方はいないと思います。

本書は、新書ということもあり、極めて平易な語り口で堅苦しいことはなく話が進んでいきます。ただし道路交通法や自動車、自転車乗りのマナー、さらには自転車に厳しい交通行政に触れる部分については、思い入れが強いのかかなり繰り返し熱く進行していきます。なお、最後の部分は競輪に触れている部分が結構あります。いまどき渋い種類のスポーツですが、読んでいると結構面白く興味がわきます(競輪は一度も行ったことはありませんが・・)。とてもゆるい調子の一冊ですが、どのチャプターも面白く、自転車全般に興味がある方にはとてもすらすら読める一冊だと思います。

2019年3月18日月曜日

第210回:「花実のない森」松本 清張

レーティング:★★★★★★☆

今ハマっている光文社の松本清張プレミアム・ミステリーの一作です。1964年に刊行された一冊であり、昭和39年の作品です。始まり方はとてもユニークで、やっとこさ買った車でドライブを楽しんだ若者が、あるカップルをヒッチハイクで乗せ・・というものです。現代風に言えば、美女と野獣といったその二人に運転手はなぜかひっかかり、さらにはその女性に深く気を取られていくことになります。

これだけだとただの恋愛ものかストーカーもの見たいですが、ストーリーは思わぬ方向に動いていきます。考えてみると松本さんのミステリーは、善悪を超えて強く好奇心に突き動かされていく執念を持った男性が描かれていますが、知らぬ間に著者は自身を主人公に投影していたのではないでしょうか。それは一般的に見れば異常なほどの情熱ですが、その本人にとっては仕事やある時は人生をも左右してかまわないと思う切実な好奇心です。

本作の面白さは万葉集がキーワードとして随所に出てくるところです。百人一首もいいですが、私も万葉集の方が庶民の喜び、悲哀が聞こえる様で好きです。作品としてはずっと素朴ではありますが、そこにリアリティがあると思います。知りませんでしたが、松本さんは万葉集の大ファンだったそうで、関連する作品もあるそうですので、それはそれで読んでみたいところです。ちなみに本作も地方が終わりの方に出てきます。とても面白いです。

2019年3月10日日曜日

第209回:「疲れない脳をつくる生活習慣」石川 善樹

レーティング:★★☆☆☆☆☆

いわゆるマインドフルネスを冒頭で紹介し、あとは姿勢をよくする、よい睡眠をとる、血糖値の変動を抑えた食事をすることを推奨する本です。よくある話の寄せ集めという感じが否めず、マインドフルネスの話はグーグルのSIYの本で要素がほぼすべてカバーされていますし、ほかの話も中身として特に掘り下げたものはなかなか感じられませんでした。

ブログやネットの記事に情報が転がっている時代においては、情報の価値がかなり変わってきていて、通り一遍の常識をまとめたものについてどんどん売れなくなる気がします。本が売れなくなる時代ですが、力のある本は売れている一方、特色のない雑誌などはどんどん淘汰されており、なかなか本を出す人には難しい時代になったのではないかと感じさせられた一冊です。

2019年3月4日月曜日

第208回:「湖底の光芒」松本 清張

レーティング:★★★★★★☆

前回に続いて、松本清張さんの長編ミステリーです。めちゃくちゃ面白い一冊です。前回の作品とは異なり、主に諏訪湖畔を舞台とした作品であり、昭和中期の圧倒的な熱量をもった企業の競争と、そこで次々と捨てられる下請会社たちの悲哀を余すことなく描いています。正気と狂気と誠実さと裏切りが交錯し、とてもドラマチックな作品となっています。

書き出しは衝撃的で、いきなり倒産した企業の債権者集会から幕を開けます。書き方は悪いですが、昭和中期は倒産法制もあるはあるものの透明性をもって機能しておらず、司法の秩序が十分に浸透していなかったようで、いきなり陰謀を感じる書き出しとなります。そこから未亡人社長と誠実な腕のいい部下、伸び盛りのカメラメーカーが出てきて・・という流れですが、書いてしまうとネタバレになってしまうので、ここらへんで止めておきたいと思います。

しかし、松本清張さんの作品がいまだにこうして新版として刊行されなおすというのは、それだけ人気があり圧倒的な筆力があるということかと思います。このシリーズは相当の作品数があるので、次々と飽きずに読んでしまいそうです・・。

2019年2月24日日曜日

第207回:「数の風景」松本 清張

レーティング:★★★★★★★

松本清張といえば昭和の大作家ですが、昭和後期にもかけて長く活躍し、多くのミステリーを中心とした作品を遺しました。現在、光文社文庫から順次「松本清張プレミアム・ミステリー」として再発行されており、その一冊です。多作な作家でしたが、どの作品も違うテーマであり、また読みごたえも十分です(本作は542ページ)。

本作は銀山跡地が発端として始まる話であり、電力会社やその用地の取得の問題、さらには謎の女性の大学教授や自動車メーカーも絡んで、飽きさせない展開です。なんどか主人公の行動の根拠となる推論が惜ししめられますが、読者はその妥当性はいかほどか迷いながら読むことになると思いますが、そこが謎の提示であり、確認のポイントとなっており、試される感じがあります(私は外しました)。また、松本さんの作品の素晴らしさは日本の各所の美しい風景を余すことなく描写し、そこに流れる昭和の旅情といったものを十分に感じられるところです。こうして読んでみると、昔、田舎の宿に行ってもテレビ、新聞、雑談、大人であれば酒とタバコくらいしか娯楽がなかったということです。今は、電波が通じていればネット三昧なのかもしれませんし、マッサージチェアなんてものもあるところもあり、これを風情がなくなったとはいいませんが、少なくともライフスタイルが変わったとはいえます。

この光文社のシリーズはものすごい冊数が出ているので、なかなか時間が取れない毎日ではありますが、少しずつ今年は読み進めていきたいと思います。

2019年1月20日日曜日

第206回:「果断(隠蔽捜査2)」今野 敏

レーティング:★★★★★☆☆

昨年最後にレビューした第204回の隠蔽捜査の続編です。全く接点のない作品でしたが、年末に読んで面白かったので続編を図書館で借りてみました。キャリア警察官僚が大森警察署長として左遷されてきましたが、その後の活躍を描くものです。新米所長の戸惑いや葛藤をうまく描きつつも、地元の警察官の好奇の眼差しとプロ意識、更には本庁との関係などがぎっしり詰め込まれています。前作より文章がこなれているのか、すいすいと読めますし、ストーリーも割と明快に設定しているので楽しく1日で読むことができました。

なにげない強盗事件、緊急配備からストーリーは急展開します。前半であれ、もう終わり?という感じになりますが、そこからが面白い展開になって読みごたえがあります。隠蔽捜査は人気シリーズであるようで、更に第3巻も読んでみようと思っています。ちなみに本書は、山本周五郎賞と日本推理作家協会賞も受賞ということで、前作に続き、著者の出世作といえる作品です。

第205回:「ブッダの真理のことば、感興のことば」中村 元訳

レーティング:★★★★★★☆

岩波書店から出ている大古典が、本年一冊目のレビューです。中村 元さんは日本を代表する仏教学者ですが、大学時代にある授業をとった時、その先生のお師匠ということで、講義で何度も絶賛されていたのを今でも覚えています。岩波文庫での発刊は1976年、文庫なのに1,000円を超えています。

本書は教団化が進んでいない原始仏教の経典を邦訳したものであり、真理のことばは「ダンマパダ」(パーリ語)、感興のことばは「ウダーナヴァルガ」(同)を出店としており、翻訳に際しては漢語、英語などの後世の役も参考にしているとのことです。特に真理のことばはとても平明な短文で構成されていて、今の世の中でも十分我々の生き方を考えさせられるようなごく日常的な宗教色がほとんどない警句集といった趣です。感興のことばは、それに比較すれば少し長い感じがあり、もう少し論理構成 が長くなっている感じがします。

この原始仏教の良さは、その後の世俗化や高度に複雑化してしまった仏教の書物とは違い、もっと当時の人々の息遣いが聞こえるような切実さとシンプルさがあることです。ここ数年、日本や世界の古典を徐々に読もうとしているので、その意味で本書を読めたのはとても嬉しく、聖書やコーランも読んでみたいところです。本書は注釈を除けはそんなに長い本ではないので折に触れて取り出し、読む機会がありそうです。