2016年3月27日日曜日

第142回:「大人の流儀5 追いかけるな」伊集院 静

レーティング:★★★★★☆☆

前作の『なぎさホテル』に続いて伊集院さんのエッセーとなります。すでにこのシリーズは4冊、昨年末にレビューしていますが、本書は2015年11月に出版されたもので、現時点での最新作となっています。いつもどおり歯に衣着せぬとても率直で面白い内容になっています。

いろいろと面白い記述があるのですが、まず野球で言うと松井氏のことは絶賛する一方、対談もしたイチロー氏のことについては相当懐疑的なところが面白いです。両選手はキャラの方向性がそもそもかなり違いますが、伊集院さんが直接的に指摘しているようにイチロー氏の発言がとても分かりにくく、日本語として難があるというところは個人的にはかなり同感です。偉大な選手ですが・・・。
あとは、スマホを四六時中、大人も子供もいじっている社会が異様であることも繰り返し言及しています。この点については自分も全くその通りだと同感する一方、暇があれば読んでしまう自分もいるので、その一員としては偉そうなことは言えません。最近気づいたのですが、朝の電車で新聞を読む人がほとんど皆無になりました。日経や産経は電子版に早くから力を入れていたので、ビジネスパーソンは結構スマホで日経などを読んでいるのかもしれませんが、ふと目に入る人は2チャンネルのまとめとか、パズルゲームなどが多いのはやや気がかりです。新聞を読んでいると偉いという話ではありませんが。あと、漫画を読んでいる人もいなくなりました。昔は1列8人並んでいたら、2人がジャンプやマガジン、2人が小説、2人が音楽、2人が昼寝というイメージがあったのですが、今は8人並んでいれば6人くらいすまほを見ているイメージです。これからは眼科が儲かる時代が来そうです。

本作は伊集院さんらしい、大人とは、男とはといった武骨な内容が前面に出ており、らしさを取り戻した一冊といっていいと思います。面白かったので、関心ある方にはお勧めです。

2016年3月12日土曜日

第141回:「なぎさホテル」伊集院 静

レーティング:★★★★☆☆☆

著者が20代後半から30代半ばまで過ごされた、逗子のホテル(今はないそうです)における暮らしやその時に出会った人たちについて書いた回想のような一冊です。小生でもないし随筆ともいえない不思議な文章ですが、著者にとって悩ましくも比較的穏やかな時代だったと見えて、強い思い入れを感じる文章となっています。様々な挫折を経てこのホテルに偶然到着された伊集院さんは、そのままホテル側の行為で7年間も逗留することになります。

この本の良いところは、たぶんその話自体が奇跡的な、ややもすると信じられないような前提に基づいているところにあります。すなわち、偶然いったホテルが寛容にも7年も止めてくれる、もちろん一定水準の料金は払っていたにせよですが。また、そこに出てくる支配人、漁師さん、各種のバイトの人などとの交流が穏やかで、読んでいても癒されるような感じを受けます。まさにこのホテルが伊集院さんに提供したのは、シェルターであり、病院のような機能ではなかったかと思います。また、小説家へはばたく前段階として(学生時代に続いて)相当の読書をこの期間にされたようですので、ナーサリーの役割もしていたのではないでしょうか。

正直にいえばもう少し細かいエピソードが多くあると、よりリアルに情景が浮かび上がってくる感じもしますが、追憶のスタイルなので、ややぼんやりとした記述に意図的にしているのかと思います。伊集院ファンにはお勧めの一冊です。

2016年3月5日土曜日

第140回:「氷壁」井上 靖

レーティング:★★★★★★☆

井上さんは昭和を代表する大作家であり、多くの方が小学校などの教科書や入試問題などを含めて目にされたことがあるのではないでしょうか。私も中学か高校で「あすなろ物語」と「天平の甍」を読みました。前者についてはさわやかな作品だなぁという程度であまり強い印象が残っていないのですが、反面後者の作品は中国やシルクロードにあこがれた時期があったので、とても衝撃を受け、その格調高い文体と描写に心を打たれた思い出があります。

そこから相当の年月が経ってしまいましたが、この作品に偶然図書館であり、ちょうど山野井さん(クライマー)関連の本を読んでいたこともあり借りました。文庫本で600ページほどの長大な作品ですが、やはりプロの作家というのはこういうものなんだと実感するような素晴らしいものでした。昭和30年代前半の様子も感じることができ(おもったよりずっと余裕がありそうです。現代よりも)、そういう観点でも楽しめました。

作品の題材は、ナイロンザイル切断事件というもので、いわゆるクライミングをしている男性2人組が穂高で登山中にナイロンザイルが切断し、1名が亡くなられた事件です。Wikiなどで見ると、この事件は昭和史的にはかなり有名な事件のようで、相当の長い間の関係者の苦闘があるようなのですが、本作品はそのごく初期のみを描写し、さらにやや込み入った人間関係を中心に、青春、恋愛、結婚、自然など様々な題材を織り込んで進んでいきます。いろいろな読み方ができる優れた文学の典型のような一冊ですが、この本の主人公は登山をする男性2名ではなく、そのうちの1名と関係のあった女性のような感じがします。この人への作者の思い入れが半端なく強く感じられます。

最後の幕切れは劇的ですし、ぜひ古い小説と思わず読んでいただければと思います(三島などより読みやすさという意味では段違いです)。ほかの井上作品もたくさん読んでいないものがあるので読み進めていきたいと思います。