2017年6月10日土曜日

第169回:「水底の歌」梅原 猛

レーティング:★★★★★★★

梅原さんの初期日本古代学三部作の一つであり、『神々の流竄』、『隠された十字架』と並ぶものです。『隠された十字架』は高校時代だったと思いますが父の書棚にあったものを読み、大変な感銘を受けた一冊ですが、このたび表題作をやっと読むことが出来ました。読み応えのあるボリュームで、上下の2冊で合計1000ページほどでした。

この作品は、日本の詩人として名高い柿本人麿についてのものです。最初の三分の一は、柿本研究を行った斎藤茂吉を引き合いに、人麿の死亡地がどこであったかという通説を批判し、そこから人麿が世に言われているような下級官吏ではなかったこと、そして決して円満な死ではなかったことを紐解いていきます。ここの下りは斎藤茂吉への痛烈な批判を織り交ぜながら、そもそも万葉集をどう読むのか、前後の詩との連接をどう理解するべきか、という本質的な部分に触れていきます。この辺りはなぞ解きをしているような感覚でとてもエキサイティングです。

その後、江戸時代の国学の研究者である、契沖や賀茂真淵の万葉集考を批判的に検証していきます。まずは長らく下級とされていた官位についての考察、また年齢についての考察を古今和歌集との関係で進めていくのですが、ここでは古代の日本において鎮魂とはどういう意味なのか、祀られる偉人というのはどういう人なのかという『隠された十字架』での視点を使いながら、人麿の非業の死、藤原氏の隆盛と鎮魂、名誉回復という劇的なドラマを解き明かしていきます。この論考については、古代史の知識の乏しい私にとっても十分な説得力があります。また梅原さんはそもそも哲学者であり、とても慎重に論考を進めており、自身の論の限界などについても率直に記載しており、知的誠実さを感じます。

また、秀逸なのは「文庫版のためのあとがき」です。江戸時代以来の単純な日本古代史への見方、すなわち「おおらかで雄々しい」というものを徹底的に批判し、実像として暗く怨念やそれを引き起こす悲劇が絶えなかったことをしていく重要な役割があったことが明らかにされており、本書の歴史的な位置づけが分かりやすく解説されています。本日の新聞に梅原さんの近影が出ていましたが、いつまでもお元気でいてほしいと思います。