2011年12月31日土曜日

第33回:「「あるがまま」を受け入れる技術」谷川 浩司及び河合 隼雄

レーティング:★★★☆☆☆☆

今年最後のレビューとなります。改めて読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。最近は色々あって読書に割ける時間が減ってしまっていますが、来年はもっと読んで(&レビューして)いきたいと思うのでどうぞよろしくお願いします。

ところでやっと読了したのは最近読み進めている河合 隼雄さんのシリーズで、前回の硬派な(ほとんど学術書)ものとは打って変わった対談ものです。私の経験では対談本というのは9割超の確率で駄本ですが、今回も残念ながらその範疇であったようです。二人の対談者は立派ですし、いずれも関心のある人なのですが、一般論としてあまりに対談本のいけてなさが際立っているように思え、その理由を考えてみたいと思います。仮説1:喋り言葉は書き言葉に比べて冗長であり、内容の密度が下がる、仮説2:喋りでは即座に応答する必要があるので、どうしても内容が浅くなる。仮説3:喋りでは面白いこと、良いことを言おうとするので、内容が受け狙いになる。などなど他にも色々と考えられますが、皆さんいかがでしょうか。もちろん対談本肯定派の方がいらっしゃればぜひお勧めの本と共に教えてください。出版社や対談者からすれば、短い時間でテープ起こしと校正くらいの作業で1冊の本ができるので、原価が異様に安く、実は手っ取り早い稼ぎ方なのかもしれません。

さて、この本は一流棋士の谷川氏とユング派の大家である河合氏(このときは文化庁長官)の対談であり、主に谷川氏のプロ棋士としての経験などに対して、河合氏が心理学的な観点からコメントして、徐々に二人で話していくというものです。前半は二人ともお互いがお互いを褒めあう展開であり、読者からすればやや白けます。編集の問題かと思いますが、そういうやりとりは本に掲載する前段階で済まして欲しいものです。その後、特に谷川氏が「~というものではないでしょうか」などと一般化した思いや信じるところをなんども開陳するのですが、いずれも凡庸な話であり、特別お金を払って読むに値しない話が続きます。別に凡庸な話がいけないわけではなく、私も凡庸な話しかできませんが、あまりに常識人な話が続くので、なにかカフェでとなりのおじいさんとお父さんのお話を聞いているような感覚に陥ります。

ただ、後半の内容はすこし盛り返し、谷川氏が羽生氏(ご存じの棋士)への嫉妬について語るところや、なにもしないことが創造につながるという河合氏の話などは、生々しくまた逆説的で興味深いところでした。

本年最後の1冊のレビューがかなり批判的で恐縮ですが(だったら読むなという話もありますが)、また来年も率直に書いていきたいと思いますので、宜しくお願いします。末筆になりますが、どうぞ良い1年をお迎えください。

2011年12月17日土曜日

第32回:「河合隼雄著作集2ユング心理学の展開」河合 隼雄

レーティング:★★★★★★★

なかなか読みごたえのある一冊でした。レーティングは6か7かで悩みましたが、これだけクオリティを落とさずに真正面からユングの心理学を解説しながら、分かりやすさと神話や小説、映画といったイメージにあふれ、理解を助けられる本はそうそうこれからもでないであろうことは確かなので、惜しむことなく7としました。

著作集1より踏み込んで、ユング心理学のエッセンスの一部である「影」と「イメージ」について論が展開されます。前半は「影の現象学」ということで、「影」の定義や解説を行っていき、影が自我に与える影響、また影自身の世界について解説を行っていきます。このなかで非常に面白かったのは「影の逆説」という部分で触れられる道化についての考察です。王の影の部分を引き受けるスケープゴートとしての「道化」という認識が基本にありますが、科学というよりは文学や歴史といった領域も巻き込む論となっています。

後半は「イメージの心理学」ということで、様々なイメージの持つ意味について論が展開されます。例えば、熊は●●の象徴といった安易なひも付けは一切排しつつ、あるイメージから導かれる多様な意味や意義を探っていく内容となっています。ここでも神話や文学といったものが数多く出てきますが、特に「創造の病い」や「ライフサイクル」(特に直線と円環)といったところは秀逸だと感じました。

一般受けする本ではありませんが、非常にフェアに書かれていると思いますので、関心ある方はぜひ一読されることをお勧めします。

2011年12月4日日曜日

第31回:「大河の一滴」五木 寛之

レーティング:★★★★★☆☆

師走は、文字通り忙しい月と言われていますが、私も例外ではなく、なんだか11月後半からばたばたとしており、平日も休日もなにかしらがあり、本をじっくり読む時間が取れません。そんな中で、この本と河合隼先生の本とSteve Jobsの伝記(英語版)を並行して読むというめちゃくちゃな読書スタイルをとっていたので、どれもいつもに輪をかけて進んでいませんでしたが、一番読みやすい本書をなんとか読み終わったというところです。某消費者金融ではありませんが、読書も計画的にすることが必要そうです。

さて、この本は1998年に出版され、大ヒットとなったのでタイトルを耳にされた方も多いかと思います。ただし、年代としては私の世代よりは、当時40~50代以上に受けたものと思われ、内容としては渋いものです(しかしながら、若い人も読んで感じることは等しくあると思います)。

具体的な内容的ですが、やはり重いものが多く、親鸞などを引き合いに出しながら現代の問題(犯罪、自殺、心の問題etc)について答えではないものの、一つの見方を提示しています。著者も書かれている通り、この本では割と素直に「こうではないか」という一つの見立てが示されていて、いつもは「なになにではないだろうか」と問いかけるスタイルの多い著者にしては珍しいスタイルかと思います。

うーんと思ったのは、この本が出版されベストセラーになった13年後の2011年、現在の日本が突きつけられている問題の多くは概ね(当時から)変わらず、その深刻さの度合いが増しているものもある(多い)ということです。本書では繰り返し自殺の問題(これは当時より数で言うと増えています)、不況や貧富の格差の問題(これも目立って改善はしていないかもしれません)が触れられていますが、これらのイシューは変わらず今日も残っています。また、自然災害(阪神大震災、当時)についても残念ながら今年は東日本大震災が起こってしまい、今、この本が再びこの本が書かれることがあれば、原発やエネルギーといった話も追加されてしまいそうです。

フェアに言えば、本書でしばしば触れられている犯罪は、統計的には減少しているようです(警察庁によれば、刑法犯罪の認知件数は平成14年を境に一貫して減少してきています)。もちろん犯罪の性質といったものは加味していませんが・・。

最後にあとがきを読んではたと気づきましたが、本書は幻冬舎から出ています。色々と型破りで有名な見城 徹氏は著者と実は長い長い付き合いだそうで、氏に口説き落とされて本書を書いたようです。幻冬舎の設立は1993年ということなので、少し経ってからの出版ですが、この本も幻冬舎が飛躍するのに大きく寄与したことは間違いなさそうです。こういう普段見えにくい著者と編集者の交流ややりとりが垣間見れるのは、興味深いところです。