2019年6月30日日曜日

第222回:「植村直己、挑戦を語る」文藝春秋編

レーティング:★★★★☆☆☆

前回レビューした角幡さんの先達であり、北極圏の冒険で名をはせた植村直己さんの対談集です。この本自体は平成16年で刊行されており、すでに15年前の作品となります。植村さんは1984年、昭和59年に消息を絶たれており、私の思い違いかもしれませんがニュースで行方不明の速報があり、この人はどういう人なのかと父に聞いた覚えがあります。植村さんが43歳の時の話です。

私にとってはごく小さいころに亡くなられた植村さんの名前は、色々なところで見たり聞いたりすることになりました。主に登山雑誌や角幡さんのような探検家の書籍を通じてですが、やはりその極地を探検する行動力と先駆性について一様に称賛されており、いつか読んでみたいと願いつつずいぶんな時が経ちました。図書館で手に取った本書は、色々な媒体に掲載された10以上の著名人と植村さんの対談が収められています。よくわかったのは植村さんの凄まじさです。日本人としてヒマラヤに初登頂、その後、世界5大陸最高峰に世界で初めて登頂した人となります。更に、北極圏の犬ぞり(単独)12千キロ旅行、同じく北極点への犬ぞり(単独)成功。最後は世界初となるマッキンリー冬期単独登頂を達成され、直後に行方知れずとなります。その行動の密度とレベルの高さは驚愕すべきものであり、以降、同じような方は日本には現れておらず、世界的にも名前が轟きました。

面白かったのは植村さんのとても飾らない人柄と謙虚さです。ご本人は自分は社会や会社では普通にはやっていけない落伍者であるという認識を基本に持っており、それがゆえに大学を卒業してもふらふらと流れるようにアフリカにわたっていった話をされます。野生時のようなたくましさを持っている一方、少なくとも戦後の日本社会によくなじめないという感じが強くにじみ出ており、もの悲しさもあります。それにしても対談者が豪華であり、石原慎太郎、五木寛之、王貞治、堀江健一(ヨットマン)、遠藤周作、開高健、伊丹重蔵、小西政継(登山家)、井上靖、大貫映子(ドーバー海峡横断スイマー)らが並んでいます。何人かはすでにお亡くなりになっていますが、彼らの若いころの対談は現代ではNGのような発言も数多く、おおらかな時代だったことを伺わせます。

今度は、ご本人の著作を探して読んでみたいと思います。

2019年6月16日日曜日

第221回:「極夜行」角幡 唯介

レーティング:★★★★★★★

以前ツアンポーの探検についてレビューした角幡(かくはた)さんの一冊です。2018年の本屋大賞2018年ノンフィクション本大賞と大佛次郎賞を獲得した一冊です。角幡さんは、ノンフィクション分野、とりわけ探検分野(というものがあれば)では本当に伸び盛り、また円熟さも出してきている第一人者です。目が離せない作家といって良いと思います。その良さはオリジナリティのあふれる探検を自ら考え、自らの資金で実行し、それを作品にしているという点、また筆力も高く、ただの叙述ではなく、かといって過剰な叙情でもない良さがある点です。本書はまぎれもなく一線級の作品であり、こういう探検と著作を出せる人は日本にはごくわずかになっていると思います。

本作は、極夜でどこまでいけるかという題材を取り扱った一冊です。極夜とは耳慣れないことばですが、白夜の対義語で要すれば一日中太陽が昇らない状態を指します。北極圏のごく近い地域では白夜と極夜の両方が体験出来て、まさに異次元的というか宇宙的な体験ができるそうです。グリーンランドが舞台であり、角幡さんは4年間を掛けて実験的な探検から始まり、各種の技術習得、デポの設営など何度も現地に足を運びながら周到に準備をされます。その成果もあって極めて過酷な状況ながらツアンポーよりも死地をさまよう局面が少ないような感じですが、それでも毎日暗い中を犬と一緒に橇を引きながら何か月も氷点下30-40度といったなかを人力で歩きとおすのですから、大変なことです。当たり前ですが常人には全く想像もつかない世界です。

また、結婚、奥さんの出産といったライフイベントがうまく探検とマッチしてきて、ただの探検から人生や太陽といったものへの深い考察へと降りてきます。加えて今回特徴的なのは犬を同行させており、その犬との交流や協力、さらには抜き差しならない状況に陥った時の判断までつまびらかに開示されており、犬とと旅することについてもユニークな考察がなされた一冊になっています。

角幡さんは40歳ころまでに最高の探検をしたかった、これからは衰えが出てくるだろうということを書かれています。しかしながら、本書を読む限りむしろ経験を増して更に独創性のある探検ができるようになられている印象があります。次の本格的な探検がどういう形になるのかわかりませんが、大変期待しているところです。

2019年6月8日土曜日

第220回:「猫だましい」河合 隼雄

レーティング:★★★★★★☆

変わったタイトルの一冊ですが、要は河合さんが猫を題材にした本を取り上げ、心理学的な観点も交えながら解説するというコンセプトの本です。猫はいまや犬を上回る数が日本にいる模様です(といっても家猫が多いのであまり見た目にはわかりません)。私の実家でも昔は犬を歴代2頭飼っていましたが、今は(現存は2代目)すっかり猫が定住しています。いやはや。

猫はあまりなじみがなかったのですが、西の方にあった祖父母の家に黒猫が居たのを覚えています。孫が来ても初対面ですし、特に喜ぶでもなくじっと家の上の方から様子を観察していたのを思い出します。本書貫くテーマは猫の変幻自在さ、そして両義性を描きつつ、それが持つ「たましい」というものに迫ろうというものです。「たましい」というのは本当に曖昧過ぎですが、人間と動物の交歓を通じて、相互が影響を及ぼしあっている。大げさに言えばたましいが触れ合っている、そういうことが書かれていきます。

いまさら言うまでもないことですが、猫は不思議な生き物だと思います。ペットでありながら、常時媚びるわけでもなく、非常に凛としています。自由です。同時によくわからない基準で人に甘えたりすることもあります。素朴なようで何を考えているのかわからない面もあり、じっと色々なものを観察しています。そういう猫の面白さと、昔話を含めてどう人間が関わってきたかをとても面白可笑しく書いています。古代エジプトでは猫は神様で破壊的な面と母性的な面、両方を表象していたそうです。なんとなくわかるような。

第219回:「深い河」遠藤 周作

レーティング:★★★★★★★

記憶の範囲では、恥ずかしいことに遠藤周作さんの本は読んだことがありませんでした。もちろん私が10代の頃は存命であったし、母からもこんなすごい作家がいるという話は聞いていたのですが、キリスト教的な作品が多いこと、重そうな作品が多いこと、そういう先入観も手伝いなかなか読む気にならず今日に至りました。

今回、作品を読んだのはどこかの書評でこの本はすごい・・という一冊に選ばれていたためですが、読んでみて本当にすごいと思える一冊で、昭和・平成の大作家の凄まじさとその内容の豊かさに打ちひしがれました。本書は、一人の青年が大人になっていく過程で、その信仰についての葛藤を描きつつ、絵本作家、サラリーマン、そして離婚経験のある女性といった市井の人々の人生の挫折と錯誤、そして深い悲しみが描かれていきます。本書が発行された(書下ろし)のは、1993年はバブル崩壊後の社会に暗い雲が急速にかかりつつある頃でした。しかし、まだバブルの気分や要素もすぐ戻ってくるんではないかという感じもあった頃です。その時代に、こういう深みのある、そして深く人間の心をのぞき込むような一作が世に出たのは、単に作者の人生の旅というだけでなく、日本人の旅にとってもとても重要な出来事だったと思います。

素晴らしい作品であり、また小説であるためネタバレを極力避けたいとおもいますが、学生運動時代以降の大学生の精神的荒廃、昭和の猛烈サラリーマンと専業主婦家庭の安定するなかでの抑圧などが淡々と描かれていきます。大人になっても苦悩や苦しみ、そして喜びがあることを描きながら、それでも作者の心情を反映してか全体としてはもの悲しいトーンが作品を支配します。それは成長すること、老いていくことが本質的に持つ哀しみともいえると思います。

作品の主題は信仰と葛藤である、というサマリーが目につきます。キリスト教と日本人という作者が追い求めたテーマがメインであることは間違いないですが、それだけではない広い視野を持った作品です。昭和を生き抜いて生きた日本人がなにに傷ついてきたのか、それを個人個人がどのように向き合えるのかということが克明に描かれています。とりわけ私が惹かれたのはほぼ主人公の一人である女性の葛藤です。すべてを理解はできないですが、とてもよく描かれていると思います。時代を超えた素晴らしい作品だと思います。

2019年6月1日土曜日

第218回:「名場面で見る聖書」中見 利男

レーティング:★★★★☆☆☆

自分自身はミッション系の教育を受けたことがなく、また自発的にキリスト教について勉強することもなく生きてきたのですが、最近ひょんなことで聖書ってなにも知らないなと思い立ち借りてきました。聖書は旧約、新約とあるわけですが、これらすべてを通読するのは余りに骨なので、かなり安易ですがKKベストセラーズのこの一冊を入門書として借りてきました。

通読してみて、聖書の名場面はよくわかったのですが、なかなか書いてあることが理解できても、共感したり深く納得するのはかなり難しいな、というのが率直な感想です。特に旧約聖書の世界観というか歴史的な記述はなかなかすっと頭に入りません。新約聖書はもう少し一般倫理観的な観点で理解できる気もするのですが、それにしても罪人がまず最初に許される神の寛容さなど、親鸞的な価値の逆転も見られて、これまたそうだよねとすぐに分かるものでもありませんでした。

もう少し違う角度の聖書の入門書を読んでみたいと思います。また違った面白さが分かるかもしれません。