2013年12月23日月曜日

第82回:「経営パワーの危機」三枝 匡

レーティング ★★★★★☆☆

前回レビューした一作と同じ三枝さんの本です。1994年の一冊ですのでそろそろ20年になりますが、色あせていないのはさすがとしか言いようがありません。前回の一作、今回の「経営パワーの危機」、下で触れる「戦略プロフェッショナル」は3部作になっており(直接のつながりはありませんが)、三枝さんの代表作となっています(もとい他の著作はそこまで多くありません)。

さて本書は、ある大企業のミドルが不振子会社に送り込まれるところからスタートします。30代の社員を子会社とはいえ、いきなり社長で行かせてくれるのは本書の題材のようなオーナー企業か商社くらいでしょうか。いまならベンチャーもあるかもしれません。背景にある考え方は、早めに会社全体を見回すマネージメントの仕事をさせることがなによりもの経営人材育成になるというものです。これをベースに本書のテーマは2つ、ミドルの成長譚と不振企業の再生です。いずれも面白いテーマだとおもいます。

今回も実例に即したもので随分リアルな話になっていますが、当然成功事例を取り上げているので、かなり劇的な展開です。三枝さんはトップダウンの威力をどの著作でも強調していて、社員の頑張りも大事だけれど、それを意味あるものにする経営の戦略性やモチベーションの鼓舞のほうがずっと大事だ(本当に変革を起こせる)と強調されています。もちろんトップだけが考えれば良いという短絡的な見方ではなく、再生の過程では社員一人一人の仕事の再生も伴わなければ実現しないということも描かれています。オペレーショナルな改善はボトムアップでもかなりの部分が可能ですが、戦略的な変更は確かにボトムアップでは時間がかかり過ぎますし、よっぽどリスクを取れる/取らざるを得ない環境でないと下から突き上げるインセンティブは低くなると思うので、確かに経営陣が大切というなのは首肯できます。家ではまず親がちゃんとしないと、ということと似ています(難しいですが)。

この一冊には随所に経営ノートというのが挟まれており、著者の経験から導き出された要諦がたくさん書かれていますが、またこれが含蓄のあるものばかりで面白いです。若手からシニアまで読める一冊で、前回レビューしたものより熱量としては少ないですが、それでも熱くなる内容です。

来年になってしまうと思いますが著者の処女作である「戦略プロフェッショナル」を読んでレビューしたいと思います。時系列が刊行順序からすっかり逆になってしまいましたが今から楽しみな一冊です。

11、12月とやや忙しくなってしまい読書ペースが落ちてますが、本年中にもう一冊くらいはレビューしたいと思います。今年は何冊読めたのかあまり自信はありませんが読んだ本のクオリティは相当高い一年間でした。時間が無くなれば、その分有効活用しようと考え流ようで、人生における制約も悪いことばかりではありませんね。

2013年11月30日土曜日

第81回:「V字回復の経営」三枝 匡

レーティング:★★★★★★★

このところ少し仕事が立て込み、なかなか更新できません。おまけに今日読み終わった(別の)1冊は今年の4月にレビュー済であることに気づき、すなわち1年以内に読んだにもかかわらず本当に心に(記憶に)残らない1冊をまた読んでしまったことに気づいて、少しへこみました。

さて、本書は著者の名前は何度も書店で目にしていたにも関わらず、なかなか手が伸びていなかった1冊です。非常に面白いとあちこちで評判になっていたので(もうかなり昔ですが)、やっと読めて嬉しいのと同時に、あと5年早く読んでおけばと思えた1冊です。

内容は、著者が過去に手掛けたコンサルティング、特に企業変革に焦点をあてたプロジェクトを仮想の会社に置き換え(ただし、数値等は概ね実在のもの)、実話仕立てのストーリーで説明していくというものです。著者は日本のBCGの第1号(日本人)社員だそうで、2000年代前半にはそれまで個人事務所でおこなっていたコンサルティングを辞め、ミスミの経営陣に加わり、現在もCo-CEOとして社のかじ取りを行われています。さすがに実践的に経営に関与し、経営者としても非常に優れた実績を残されている方なので、口だけ番長にならないリアルな本となっています。

本書の優れたところはいくつもあるのですが、①現実のケースをベースにしているために極めてリアル、②経営学や欧米コンサルティングの知見を随所に活用し、理論的バックボーンがある、③にも関わらず、日本企業の独特の経営慣行や労使関係などをとらえており、日本企業変革の要諦をハイレベルでとらえている、ところかと思います。著者が極めてクリアに頭の中を整理されているからだと思いますが、難しい内容を書きながらすっと抵抗なく頭に入り、かつ納得できる内容であることに感服してしまいました。

会社をある種の人間臭いやりとりが交錯し、続く場としてとらえており、経営者も非経営者も全員が等しく志をもって仕事に取り組む必要があるというメッセージがあるように思われます。どの人物描写もリアルであり、どの年代、階層の人が読んでも心を熱くするものがある物語ではないかと思います。本書(読んだのは単行本)は2001年に刊行されましたが、現在もまったく変わらず通用する内容ばかりで、全く色あせていないのは如何に経営の普遍的なポイントにフォーカスしているかを表していると思います。3部作のように他の作品もあるようなので近々読んでみたいと思います。

久々に経営学(?)関係の本では大ヒットであり、面白い一冊なのでついついレーティングもバブリーになってしまいましたが、それくらい価値ある一冊だと思います。

2013年11月18日月曜日

第80回:「ザ・ラストバンカー」西川 善文

レーティング:★★★★★★☆

経営者の回顧録は面白いというのが私の中のセオリーなのですが、全く期待を裏切らない一冊でした。ご存知、三井住友銀行の元頭取であり、日本郵政の元社長である西川さんの一冊です。来し方を振り返りながら、特に誤解や批判の多かった不良債権処理の取り組み、危機下の増資、日本郵政時代の資産処分などを中心に書いています。割と率直に書いていて、守秘義務に抵触しないかとややひやひやするようなところもあります。他の書評には、(本書には)色々書かれていないことがあるというものもありましたが、それはやぼというもので、至極当たり前だと思います。まだ年月が経っていないため、色々迷惑のかかる話やどうしても書けないことも一つや二つではなかったはずです。

本書の優れたところは、世界有数のメガバンクのトップが、それまでにどんな仕事に取り組んできたか、また日本郵政の民営化に尽力した様が描かれていることはもちろん、その過程で安宅産業の処理、イトマンとの関わり、ダイエーの不振、金融ビッグバンと業界の再編、郵政民営化など、昭和から平成を彩る大型経済事件の貴重な証言になっているところです。特に自分でリアルタイムに経験していない安宅産業とイトマンの話はかなり興味深いものでした。そして大手のメディアが形作る一方的なイメージが時として相当に歪んで真相をうやむやにしてしまうことです。他方、大きなメディアでしかできない取材や持てない影響力もあるので、当然ですが大きいから即悪いというものではなく、当事者のこうした本も含めて、多様な情報源が社会にあるということが大事なのだと思います。

本の内容に戻ると、驚いたことの一つは銀行の取引先の再建や処理に関わる深さです。今もそうなのか分かりませんが、詳述されている安宅産業の処理には融資第三部という専業の部署を設け、更に安宅本体のみならず、米国の子会社、国内の関係会社(ゴルフ場まで含む)まで入り込んで懸命に再建または破綻処理の作業が行われています。現在は昔ほどメインバンクという体制が強固に機能していないので、ここまで極端なことはないのかもしれません。もうひとつ驚いたのは、戦後の金融行政の縛りの強さです。教科書的な意味で金利の自由化がなされなかったこと、出店規制などがあったことは知ってはいましたが、ここまで細部にわたり規制が敷かれていたとは知りませんでした。私が小さい頃は、預金を獲得するために銀行ができることはおまけになにを付けるか(ミッフィー付きかミッキー付きのティッシュetc)しか差別化材料がないなどという自嘲がありましたが、本当にそういう世界だったのかもしれません。大きな意味での金融業界の自由化は金融機関の数を一気に減らし、その過程では多くの痛みもあったはずですが、コンビニが24時間でATMを稼働させるなど30年前は夢のまた夢で、利用者の利便性が大きく向上したことは間違いないと思います。

優れた経営者の告白であり、優れた現在進行形の経済史、といえる本です。

2013年10月27日日曜日

第79回:「希望の国のエクソダス」村上 龍

レーティング:★★★★★☆☆

既にレビューもしている村上氏ですが、私が小説を面白いなとおもうきっかけとなった作家のひとりでもあり、主として高校時代に随分読みました。その後、氏自身が活躍の場を経済メディアやインターネットといった領域にシフトして、数年に一度長編を発表(それもどんどん間隔が開いてきています)するスタイルに移るにつれて、読むことが減ってきました。今回は2000年に刊行された一冊で、著者の得意とする近未来小説の形をとったものです。

この一冊は、当時の時代様相を抜きにして語れないもので、コンテクスト依存が極めて強い一冊です。当時の長びく不況、リストラ、いじめや不登校、インターネットの急速な発達(といっても今にくらべてみると化石時代のようですが)、国際的なマネーの移動、日本におけるナショナリズムの高揚などをベースとしており、2000年以後の世界を多く見通した記述もありますが、イスラムテロや原発のリスクなどまで言及されており、(この2例はたまたまであったとしても)実は非常に暗示的な小説、野心的な小説ということができると思います。10年以内に大きく外れるかどうかわかってしまうものを書くのはリスクだとおもうのですが、著者はそれだけ徹底的な取材をして、それなりの自信を持って出したのだと思います。

ネタバレしないようにざっくりと書くと、不登校になった中学生たちがITを活用し、智恵をだしながら社会と対峙していくというものです。国家の内部からの崩壊を描いておりますが、単に体制=悪といった構図ではなく、もっと複雑に成熟した社会を描いているので、荒唐無稽にも思えるストーリーながらリアリティを持って読み進めることができます。2000年、私は学生で当時まあまあ新しかったWindows98かなんかのPCがやっと家にきたところでした。人とEメールというものをやりとりできるというのが本当に新鮮で、メールがくるとおお!という感じで読んでいた覚えがあります。ネット回線もADSL以前の時代でダイアルアップのプープルルーという延々と繰り返す音を良く聞いたものでした。そういう時代にITを軸に据えて大きな想像力を駆使して書かれていた本書は、やはり村上龍氏ならではの作品と言えると思います。当時、氏はJMMだったとおもいますが経済メルマガを出していて、信州大学の真壁氏などが(当時は金融機関をやめた直後だったでしょうか)よく寄稿していたのを思い出します。

カンブリア宮殿なども好きなのですが、TVで拝見するかぎり結構お元気そうなので、まだどんどん力のこもった長編を書いてほしいと思います。

2013年10月14日月曜日

第78回:「温かなこころ」中村 元

レーティング:★★★☆☆☆☆

前回に続いて中村先生の一冊です。1999年に初版が発行されており、平成2年から9年までに行われた4回の講演を編集した一冊です。講演のテーマが似通っているためか重複する話もありますが、全体的に(ベースが講演でもあり)さらりと読めます。

以下は感想というよりは個人的な備忘録です。親鸞の言葉、「無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり。智眼(ちげん)暗しと哀しむな」、なかなか味わい深いですね。唐招提寺の語源、唐は鑑真和上の出身国、招提はパーリ語のチャートゥッディサ(四方にわたる)の音を写したもの。奈良の大仏は華厳教学の本家本元(総本山)。華厳経は元々南インドから出たものと考えられているが、インドからインドネシアまで広がっており、ボロブドゥールの彫刻にも出てくる。その華厳経は「縁起」の思想を中心に据えており、東洋的考え方の大きな要素の一つ。この関連で良忍上人の一句「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行」。中村先生は弘法大師の「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」に触発され、東方学院を設立した。

この一冊で続いた仏教モノシリーズにいったん区切りをつけ、現在は全く毛色の違うものを読んでいます。読書の秋なので(といってもあまり進みませんが)、ぼちぼち読み進めていきたいと思います。

2013年9月29日日曜日

第77回:「ブッダ入門」中村 元

レーティング:★★★★★☆☆

第76回でレビューした一作の感動が大きく、今回は同じ方が講演した記録を取りまとめた一冊を読んでみました。1991年に刊行されており、出版社主催の連続講演会で話した内容をまとめたものです。対談や講演はとかく文字にしてしまうと内容が薄く感じるケースが多いのですが、この一冊もややそういう傾向があります。しかし、当然ながら分かりやすく専門的な内容を語っているので面白さは十分です。

メモ的に面白かったところを書くと、ゴータマ・ブッダはパーリ語であり、サンスクリットではガウタマ・ブッダということ。ブッダは目覚めた人という意味だが、ゴータマは最も優れた牛という意味であること(インド的ですね)。蓮の花はインドの国花になっている。3つのおごり、老病死でないということ。塔の語源はストゥーパ、護摩は(サンスクリットの)ホーマ。ブッダガヤ(さとりをひらいた場所)には日本寺がある。梵天はヒンズーでは最高の神と考えられていた。ベナレス郊外のサールナートがあるが、ここには鹿野苑(ろくやおん)があるが、これにちなんで京都の金額時は鹿苑寺(ろくおんじ)と名付けられた。鹿野苑には日本の野生司(のうす)画伯が描いた壁画があり、更にこの寺は主としてアメリカ人の資金援助で建立されている。「三帰五戒」は三宝に帰依し五戒を守るという意味だが、五戒のうち最後の飲酒に関するものは、完全に飲酒を禁じるものではなく、できれば深酒しないという相対的なもの(遮戒)。直接の否定や肯定をしない。

なんとなくインドと日本の文明論という感じもする一冊ですが、面白い一冊でした。今度はもうちょっと突っ込んだ内容のものを読んでみたいと思います。

2013年9月22日日曜日

第76回:「ブッダ最後の旅」中村 元訳

レーティング:★★★★★★★

今回の一作は、本ブログ史上最古の本の翻訳です。原文はパーリ語で書かれており、日本の偉大な仏教学者であった中村元氏が訳したものです。私が中村元氏の名前を知ったのはもう10年以上前ですが、大学で「比較宗教学」なる授業をとっていたことがきっかけです。授業に関心があったというよりは、比較的楽に単位が来て、時間帯もたしか午前中の遅めだったので(遅刻しなそうで)いいなというぶったるんだ大学生の典型のような気持ちで受講したのがきっかけでした。しかし、人生万事塞翁が馬ですね、授業は思いのほか面白く、殆ど出席した覚えがあります。その授業を担当していた教授は(今も健在で教えているようです)中村先生の直弟子であり、授業中何度となく中村先生を絶賛していた(事実絶賛しきれないくらいすごい業績を残されています)のがきっかけです。いつかは中村先生の著作を読もうよもうと思いつつ、はや10何年たってしまいましたが、やっと1冊読むことができました。読書はなにか縁を感じることがありますが、この一冊もそういうものとなりました。

さて、本書ですが上記の通りパーリ語で書かれた「大パリニッバーナ経」を翻訳し、さらに分厚い脚注を付したものです(脚注の方が長い)。主題はまさにタイトルの通りで、ブッダ入滅の前後が描かれており、後世の脚色はあるものの、比較的史実に忠実なブッダの姿を伝える経典だそうです。これも大学生の時に手塚おさむの「ブッダ」を読んで大変感銘を受け、今、こうして原典(の翻訳)を読めて非常に感慨深いものがあります。私は特定の宗教を信じることはなく、神社にも寺にも行きます。海外なら教会も行きますし(礼拝にはいきませんが)、ヒンズー教の寺院にも入ります。ただ、海外にいくときにたまに宗教をきかれますが、そういうときに自分ははてなにを(相対的に)信じているかと聞かれれば仏教だと思います。仏教の(相対的にですが)排他的でないところ、無理がないところなどが好きです。その根幹にはブッダというその人への共感がある気がします。

この経典を読んで驚いたのは(およそ経典を読むのも初めてですが)、なんども繰り返しをともなう独特のスタイルです。Aという発言が出てくると、それが1度、多いときは2、3度繰り返されます。最初はめんくらうのですが、繰り返されると自然と頭に入ってきて、心地よいリズムができてきます。解説によれば、初期の経典は口承で伝えられたので、覚えやすいように繰り返しが多用されているとのことです。もうひとつは、非常に人間的なところです。後世の脚色/神格化が少ない経典だそうで、比較的生き生きとした会話があり、痛みの描写があり、気遣いの様子が描かれています。まさに人間ブッダを描いており、そのストイックさ、他者への思いやり、飾らなさなどに心を打たれます。特に思いやりという点では、死の前に客人から振る舞われた食事をとって急速に体調を崩すのですが、その状況でさえ食事を出した人がのちのち自分のせいではないかと気にやまないように深い気遣いを見せます。また、古代インド/ネパールでも深い身分制度が確立されていたのですが、殆どそれを感じさせず様々な階層の人と対等に自在に交流しているところです。おごらず、たかぶらず、えらぶらず、当たり前といえばそうですがどこにも強権的なところがありません。

本書の後半は全て中村先生による解説ですが、またこれが秀逸です。余りに難しくて2割くらいしか分からないのですが、東西の翻訳や写本も検討し、細かなニュアンスの検討をこれでもかと行っています。現代の世界、日本でこういうレベルで語れる人は何人くらいいるのでしょうか。その圧倒的な博識と執念にただあきれるばかりです。

いきなりブッダ入滅の経典を読んでしまったわけですが、他のものも時間を見つけてライフワークの一つとして読み進めていきたいと思います。

2013年9月7日土曜日

第75回:「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城 徹・藤田 晋

レーティング:★★★★☆☆☆

2011年に刊行された1冊、対談かと思いきや見城さんの自筆の一言と解説2ページ、その後に藤田さんの解説2ページが続く構成です。内容は、仕事への取り組み方に関するものが殆どです。見城さん(幻冬舎社長)のかなり強烈なパーソナリティと藤田さんのわりと冷静な、良い意味でバランスの取れた解説が良いコントラストで面白いです。

非常に読みやすい一冊で、お二人のかなりのファンでなければ買って手元に置いておく必要性は感じませんが、色々と印象深い言葉が紹介されてます(さすが見城さんですね)ので、ご紹介がてら。「小さいことにくよくよしろ」(小さいことをできない、守れない人に大きなことはできない)、「努力は自分、評価は他人」(そのままですね)、大石内蔵助の辞世の句「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」、どれももちろん解説があってこそではありますが、なかなか面白いなーと思いました。味があります。

藤田さんについてはこのブログの第40回でも「渋谷で働く社長の告白」をレビューしており、なんとなく予備知識があったのですが、見城さんの本をちゃんと読むのは初めてで、かなり極端な仕事のスタイルを持たれていることと、それを支える情熱というか熱量に驚かされます。あまりに凄過ぎてこういうアプローチはできないよな、と正直思ってしまったのですが、これに痺れる出版関係者の方なども多いのではないでしょうか。

2013年8月31日土曜日

第74回:「官僚たちの夏」城山 三郎

レーティング:★★★★★☆☆

クーラーの入ったオフィスで仕事をしているにも関わらず、毎年、夏がどんどん暑くなっているように感じるのは私だけでしょうか。年を重ねて相対的な暑さの感度が良くなってしまっているのかもしれません。または、単に新陳代謝ができず、熱がこもってしまってるだけかもしれませんが・・。さて、今年の夏も非常に暑かったわけですが、そんな夏を締めくくる一冊は、かなり暑苦しいものでした。

個人的な古典的名作を読むシリーズとして図書館で借りたものですが、読み始めてすぐに気付きました(借りる前に気づけば良かったのですが)。これ、読んだことある・・・しかも恐らくここ5年以内くらいに読んだもののようです。とはいえ、良くも悪くも筋をかなり忘れており、前回かなりいい加減に読んだか途中でやめたか理由は分かりませんが、エンディングは記憶になかった(途中でやめたのかもしれません)ので、わりと楽しく読みました。

官僚、それも昔の通産省を舞台とした政治家も含めた人事抗争を描いた一作で、意外なことに殆どの登場人物に実在のモデルがいるようです。これを読むと、当時の通産省はなんとも自由闊達で面白そうなところだったんだなあ、と素直に感じます。ちなみに昔の通産省も今の経産省も全く仕事なりで接点がないので、本当の姿は全然分かりません。上に書いたとおり、徹底して人事を中心に話が進むのですが、キャリア組(いまは総合職と呼ばれるようです)の人事配置、ローテーションといったことの考え方、各局間の位置付け(少なくとも当時の通産省のということですが)などがわかり、勉強になります。また、人物造形がどれも魅力的なので、どんどん読めるかと思います。

しかし、主人公の熱量が非常に高く、昭和の熱血サラリーマン礼賛(それだけではないのは読み進めるとわかりますが)のきらいがあるので、ちょっと夏に読むには熱すぎる一冊でした。昔の官僚に特殊な憧れをもっている、とか国家公務員試験を受けたい、とかでない限り、そこまで強くもお勧めしない一冊です。経営者のお勧めの一冊などを読んでいるのでたまにでてくる本書は、良くできているし当時の熱気やしがらみを巧みに描ききっているのですが、いかんせん当時の政官の関係や官僚のしきたりにどっぷりつかってしまった小説なので、現代読んでなにか特別な感慨を抱くことは困難でした。

2013年8月10日土曜日

第73回:「企業参謀」大前 研一

レーティング:★★★★★★☆

久々に映画館に足を運びました。最後に映画館に行ったのは、覚えていないくらい古く、たしか2009年に何回かヨーロッパ某国で行った記憶がある程度です。今日は、「モンスターズユニバーシティ」を見に行きました。ピクサー製作のもので、モンスターズインクの続編という位置づけです。内容はストレートで前作より面白い感じがしました(アメリカの大学生活をパロってるというか、おかしく描いてるところも好きです)。連れてった子供も喜んでたし、なにより大きなスクリーンで見て大きな音で聴くことは、不思議にそれだけで感動するものがあります。スマホで映画、とかたまにCMでやってますが、本当に信じられません。

さて、本物を見るという話でいくと今回レビューする古典的名作「企業参謀」は、日本の経営学や関連書籍では非常に評判が高く、海外にも多数翻訳されています。海外のビジネススクールでも「大前」という名前は紹介されたりするようです(私は海外で聞いたことは残念ながらありません)。本書になかなか手が伸びていなかった理由は、そもそもあまり売ってない(オリジナルは1975年刊行)というのもありますが、それ以上に(大前さん自体が凄い人とは聞いていましたが、)とにかくどんな分野でも本を書き散らすおじさんという認識しかなく、後回しになっていました。が、しかし、結果として頭を殴られたような衝撃を受けた一冊となりました。

このブログでも何冊かコンサルタントの本をレビューしていますが(そしてそれらの多くも良本だと感じましたが)、本書は正直言ってレベルが違います。日本の本書以降のコンサルタントや経営学者(そもそも余りいませんが)は、本書と肩を並べるものは殆ど書けてこなかったと思います(楠木さんは本書を読んでも凄いと思いますが・・)。内容は、現代の経営学では古い部類に入る話が多い(イシューツリー、プロフィットツリー、製品ポートフォリオ管理(PPM)、産業構造論等)ですが、当時というか今から40年前に分析的かつ緻密に自身のオリジナルの考察も交えながらこれだけの話題をカバーしきって(メモをためた当時は30前半とのこと)、無駄なく論を進めています。また、タイトルにも表れている通り、国家でも企業でも参謀グループが必要であり、戦略的思考をもっと鍛えるべきということを非常に説得的に主張しています。丁度、当時は石油ショック後の低成長、産業構造の転換期にあったのですが、その状況は(理由は違えど)バブル崩壊後の長期低成長に入ってしまった現在の日本と似た状況であり、随所に現在でも活きる(また現在を予言したかのような)洞察が書いてあります。月並みですが時代は違えどイシューはあまり変わらないのかもしれない、と思えます。例えば目次から拾うと「低成長永続の意味」、「市場の成熟に伴う硬直化」、「生産性は頭打ち」など現在でもそのまま使いまわせそうです。

独自の参謀グループ論に加えて面白かったところですが、後半に「先見術」というチャプターがあり、独自の将来予想を書いています。一部抜粋すると、「働く既婚女性の数はますます増えてゆくであろう。したがって、家庭における料理も、短時間で調理でき、かつ家庭的雰囲気を失っていないような高級インスタント惣菜の需要がヤングカップルの居住地(通勤圏一時間内外)の交通の要衝を中心に伸びる」とかファーストフードについて「群チェーン化を行い、店頭での作業は縮小化するが、一定地域内で一つずつ支援キッチンを置くというような業態の経済性が高まる」(ファミレス含め、オペレーションはまさにこの方向ですね)と書いてたりします。同様に「健康に悪い太り過ぎの人間が次第に増えてくるであろう。したがって減量のための諸事業などを一つのパッケージとして提供すれば十分な需要が見込める」などというのも、もう本当にそのまま実現しています。

復刻版(単行本)を図書館で借りたのですが、余りに良いので買おうと思います。著者の本で読んでみたかったのが、とりあえず数冊あるのでちょっとずつ読んでみたいと思います。さすがマッキンゼー日本支社長、本社ディレクター(いずれも元)ですね。昨今の安易なウミセンのマッキンゼー本とは天と地ほどの差があります。本書に触れると、単に知っているとかノウハウがうまく纏めてあるとかではなく、(著者の)自分の頭で深く執拗に考えられ、理解されたものが書かれており、またオリジナリティの高い論考が展開されているので、著者しか書けなかったことが分かります。今回は、手放しの前向きレビューになりました・・。最近時間はあるのですが、ちょっと読書欲が(夏バテ?)減退ぎみなので、少しペースが落ちるかもしれませんが、またぼちぼち読んでいきたいと思います。

2013年7月21日日曜日

第72回:「祖父たちの零戦」神立 尚紀

レーティング:★★★★★★★

日本の夏といえば色々ありますが、終戦の夏、というのが個人的に浮かんできます。敗戦の夏といっても良いかもしれません。父がかなりの日本史好きで、とりわけ近代史に詳しく、小さい頃に(父は戦後生まれですが)よく太平洋戦争の話を聞きました。母方の祖父は満洲に出征していたこともあり、少しだけ実感を伴って聞いていましたが、本当のところ当時一番魅了されたのは艦艇や飛行機の写真でした。不謹慎を承知で言えば、そういうものを無条件にかっこいいと感じていたし、今もそういう部分を少しは持っています。ただし、その後様々な戦史などを読んできましたが、見た目のかっこよさの後ろに張り付く、悲惨な戦争の実像を知り、当然ですが小学生の時とは全く違ったとらえ方をするようになりました。

とにかく、小学生の頃は父に話を聞いたり、図書館から帝国海軍写真集、みたいな本を何冊か借りて良く読んでいました(かなりの軍国少年ですね・・)。そのころにこれも父の影響でいくつかプラモデルを作っていたのですが、戦艦大和、ドイツの戦車(名前が思い出せません)、そして本書の主題である零戦などだったことを良く覚えています。私は当時からなぜか陸軍には殆ど興味がなく、一貫して海軍に興味があったのですが、その中でも零戦は圧倒的にフォルムが美しく、その数奇な運命と共にずっと気になってきました。そんな中で既にレビューした百田氏の「永遠の0(ゼロ)」(第50回)を読み、再びちゃんと関連書を読んでみたい、という気持ちになりました。

さて、そんな本書ですが、(少し変わったお名前の)神立(こうだち)氏が膨大な数の零戦のパイロットや整備士にインタビューを行い、また元兵士や遺族から入手した多くの未刊行資料なども踏まえ、零戦の誕生からパイロットたちの戦後を含めた一生までを追った労作です。主要な登場人物(実在)は2名で、いずれも兵学校に昭和4年に入学し、その後、パイロットとなりました。二人は様々な戦場を転戦し、その模様を軸に太平洋戦争全体の趨勢も丹念に描いていきます。

本書の優れたところは3つ。1つは実在の関係者の膨大な証言を積み重ねており、特に零戦のユーザーから見た特性、操縦性などが非常に詳細に書かれていること、もう1つは単に兵器や戦史を追っているのではなく、戦後までカバーした優れた人間模様の描写があること、最後に非常にバランスの取れた見方を提示しており、ただの兵器本にも戦史本にもなっていないこと。特に2つ目の点は、零戦パイロットが殆ど亡くなられた今となっては貴重極まりないもので、すぐれた歴史の証言たり得ています。著者は「フライデー」のカメラマンから独立し、多くのゼロ戦乗りに取材していくうちに信頼を獲得し、NPO法人「零戦の会」理事も務められています。

戦後のパイロットたちの回顧は、なんともやるせない気持ちになります。勝ち目がない戦争を戦い抜いて散った生身の300万以上の将兵・民間人のことを思って、改めてどう生きるべきか考えさせられます。本書は零戦による特攻や桜花、回天と言った非人間的な兵器についても良く触れていて、乗り込んだ兵士たちのことを思うと重い気持になります。本書は借りて読みましたが、買わないといけない一冊となりました。

2013年6月30日日曜日

第71回:「飢餓同盟」安部 公房

レーティング★★★★★★☆

安部公房を始めて読んだのは確か高校生のときだったと思います。高校の図書館の文庫本コーナーにあった本たちは、何の変哲もないカバーでそんなに人気もないようでしたが、読んでみるとガツンと頭を殴られたように感じました。フィクションでありながら、現実的な迫力があり、著者の経歴を生かした医学や科学の要素もふんだんに織り込まれ、どの話も不気味さ満点でした。この作風は他のどの日本人作家も見られないものだと思います。そんななか何年ぶりかわかりませんが、安部さんの読んでいない作品を読んでみようと思いたち、借りてみたのがこの作品です。

この作品は、日本のかつて栄えた町があることをきっかけに没落し、その後、戦後の貧しさから復興する過程で徐々に貧富の差が広がり、閉ざされた共同体によそ者が流れ込み革命を目指す(かなり変な革命ですが)というものです。しかし、体制側も革命側も妙なキャラクターが多く、また敵味方入り乱れてわけがわからなくなっていく様が描かれており、権力闘争の滑稽さも表しています。反体制派はヘクザンというかなり眉唾な液体を切り札に人間を機械化するのですが、その荒唐無稽さも寓話としての皮肉たっぷりです。

思うに安部さんの小説はどれも高度な寓話として書かれながら、現実を少しずつ織り交ぜることで、なんとも言えないリアリティを獲得しているようです。コミュニティの閉鎖性、新旧体制の相克、集団の組織と分解など普遍的なテーマを扱うが故に国境を越えて読み継がれています。ちょうどたまたま昨日付けの日経新聞(朝刊)に安部公房特集が組まれていたのですが、いまだに海外でも読み継がれており、記事によれば新たにスペイン語圏での翻訳が進んでいて、すでに出た作品は増刷が決まっているそうです。没後20年を超えて、いまだに遠い異国の人に読まれるなんて作家冥利に尽きる話ですね。

個人的には川端より、大江よりよっぽどクオリティが高いように読めるのですが、ノーベル賞は質だけの問題でもないのかも知れません。読むのにパワーが必要なんでまた少し時間を置いて残りの作品も読んでみたいと思います。まだ読まれていない方は、ぜひお手に取ってみてください。「燃えつきた地図」などは本当に面白いです。

2013年6月20日木曜日

第70回:「ティファニーで朝食を」カポーティ 訳:村上 春樹

レーティング:★★★★★★★

世の中には本当に素晴らしい小説が沢山あるわけで、読めども読めども追いつきません。この書評を始めてもう2年以上ですが、それでも読めたのはたったの70冊です。その前から、それこそ小さなときから沢山の本を読んできましたが、それでもこんなメジャーな作品もカバーできていないわけで・・。もちろんメジャーであれば良いということではなく、一人ひとりには好みが確固としてあるので、その人にとって良い本、楽しい本を見つけられれば良いわけですが、年月を経て生き残っている作品というのは多くの人が認める普遍的な面白さや意味があるわけで、その意味で限られた人生の中で読める本が限られている以上、悪くない選択だと思います。

さて、カポーティの作品自体読んだことがありませんでしたが、訳者が書いている通りこの作品はヘプバーンが主演した映画で知っている方が多いのではないでしょうか。私は映画も見ていない(もちろん知ってはいましたが・・)ので、本当に初めてでしたが、結論から言って凄く面白かったです。正直言ってストーリーには余り惹かれないのですが、主人公のもつ繊細さ、もろさ、ニューヨークの雰囲気、寒そうな秋の描写、そういったものが生き生きとし過ぎていて、すごい作家なんだと実感しました。加えて、一緒に収録されている「花盛りの家」、「ダイアモンドのギター」、「クリスマスの思い出」いずれも秀逸で、とくに最後のクリスマスは表題作より良いのではないかと思います。

作風としては、全体的に切なく、やや暗いトーンが全編を流れています。流れは少し早く、ゆったりしていませんが、そこが緊張感があって好きです。しかし、暗いということでいうとアメリカのメジャーな作家は、だいたい暗い気がするのですが気のせいでしょうか。私は海外文学を本当に読んでないので偉そうなことは言えないのですが・・。ここはちょっと注意して今後読んでみたいと思います。

近々、カポーティのもう一つの代表作(ただしノンフィクション)の「冷血」も読んでみたいと思います。

2013年6月16日日曜日

第69回:「採用基準」伊賀 泰代

レーティング:★★★★★☆☆

2012年に随分売れた一冊です。著名なコンサルティング・ファームで採用を担当していた方、ということで随分話題性があり、またタイトルも就職活動を控えた大学生などは手に取らざるを得ないようなものになっています。ちなみにタイトルは著者も書いているとおり、本の中身のごく一部でしかありませんが、この程度であればアイキャッチのために許される範囲かなと思います。

では、この本の中身はなんなのかということですが、マッキンゼーにおける採用活動の視点を紹介しながら、本論である(主にキャリア上の)リーダーシップの重要性について説く、というものです。リーダーシップは教育可能であり、今の日本社会に強く求められているのに、重要性の認識が決定的に欠如しており、系統的な教育もされていない、というのが著者の主張です。私は、海外に居た時にリーダーシップというものに非常に重きを置くところにいて、耳タコ状態でこの言葉を聞いていたので、強い関心をもって読み進めることができました。著者の主張には共感するところもそうでないところもありますが、面白い一冊だと思います。なかなかリーダーシップについて正面から論じているビジネス?書は少ないと思います。

共感するところは日本ではリーダーシップというものが良く理解されておらず、その重要性も共有されていないということ。私も勉強に行く際に、リーダーシップ教育に力を入れている学校なんです、と周囲に説明しましたが、当然ながら周囲は「うーん何やんの」ということでしたが、正直言って行く前の私も「なんか良く分からないけど、行って見ればわかるか」という程度にしかイメージがありませんでした。本書でもうまく定義されていませんが、リーダシップというものが果たしてなんなのか、仕事におけるそれとはなんなのかについての共通理解がなく、他の言葉や概念で部分部分が表現されていることが多々あると思うので、まったく日本で理解されていないというわけではなく、元来輸入概念なのでそのものの理解は乏しいということでしょうか。

そしてリーダーシップの重要性というか、人生における大切さというのは個人的に海外での経験を経て実感するに至ったのですが(実践できているのかは人が決めることだと思いますのでなんとも言えません…)、他方、著者の言うようにリーダーシップを持つ人材が日本に少ないとか、日本の問題の多くがリーダーシップの欠如によるもの、という考え方はやや疑問です。リーダーシップを持つ人材は、少なくとも私が接してきたビジネスパーソンには沢山いました。また、あまりリーダーシップを持つ人が見られない業界/組織も見受けられますが、それは個々人の問題というよりはそもそもリーダーシップを必要としていないか、排除しようとしている業界/組織なのではないでしょうか。また、後者のリーダーシップの欠如が日本の多くの問題につながっているという指摘も、正直言って組織は人々のリーダーシップだけで解決できるような容易な問題ばかりではなく、リーダーシップ教育がなされている欧米を見ても問題山積であることを考えれば、同意しがたいものがあります。政治経済やミクロ経済主体としての企業の問題は、リーダーシップの欠如もあるのだと思いますが、むしろ構造的なものだと思います。

上に書いたとおり異論もありますが、本書はそれでも良い本だと思いますし、特に高校、大学生や28歳くらいまでのビジネスパーソンにお勧めできると思います。志高く生きたいという人には大いに鼓舞する内容ですし、リーダーシップ云々はさておいても、結局なにが仕事を動かしていくのかということが書いてあります。また、管理職はリーダーと同義ではなく、日本企業に求められているのはリーダーではなく管理者という点もかなり正しいと思います(それはそれで理由があるわけで悪いわけではないのですが)。

備忘まで面白いと思った部分をメモしておきます。まず、リーダーがなすべき4つのタスク:目標を掲げる、先頭を走る、決める、伝える。マッキンゼー流リーダーシップの学び方:バリューを出す、ポジションをとる、自分の仕事のリーダーは自分、ホワイトボードの前に立つ。また、最終章の「リーダーシップで人生のコントロールを握る」も面白いです。リーダーシップを過大評価する必要はありませんが、(繰り返しですが)それが教育可能(trainable)であること、自分の頭で考えることを可能にし、仕事やプライベートの生き方に大きな影響を与えること、などを正面から説いています。なお、あとがきで紹介されている、著者が運営しているMY CHOICEというサイトは、コンテンツが面白いのですが、やや更新頻度が低く改善を期待したいところです。

2013年6月1日土曜日

第68回:「海賊とよばれた男」百田 尚樹

レーティング:★★★★★★☆

いやー面白かったです。今年の本屋大賞受賞作であり、「永遠の0(ゼロ)」(第50回でレビュー)で鮮烈なデビューを飾った著者の作品です。評判の高い本作も楽しみに手に取りました。素晴らしい気骨のある経営者がいたことに、素直に感動します。同じビジネスパーソンの端くれとして、ただただ頭が下がります。

すでに各所で書かれているとおり、出光興産の創業者である出光佐三の伝記のスタイルをとっています。そして優れた書き物によくあることですが、時代の大きな変遷やうねりも同時に描いており、ずいぶん勉強になります。感動した点を幾つかあげてみたいと思います。

まず佐三さんのぶれない信念、社員、顧客を強く思う気持ち、日本のためや世界のためを思い、権力に是々非々で対峙し、決しておもねらない姿勢、不撓不屈の粘り、支え続けたまわりの仲間たち、どれをとっても驚嘆する話です。こんな経営者がいたこと自体が信じらませんが、この良くも悪くも我を貫く経営ができたのは、非上場であり(現在は上場済)外部株主の強いコントロールから自由であったこと、創業者であり強い個性を会社経営に反映できたことがあると思います。現在の上場会社であれば株主から疑義を呈されそうな決定も幾つかあります(ものの見方が違うので仕方ありません)が、これをやりきれたところに創業者、会社形態のメリットが強く働いています。

次に信念を持って全力で戦う佐三さんに多くの人が陰に日向に大きなサポートをしていることです。まず創業時の資本を提供した日田氏、生涯をかけた支援と交流は心を打ちます。終戦後に海外から続々帰国した社員たちの献身的な働き(また、佐三さんの私財をなげうった支援)、アメリカ石油業界の意向を受けながらも、時として深い理解を示すGHQ,イランとの取引をあえて黙認する政府幹部、巨額の融資を何度も承認したバンカメ、などなど数えきれないほどもう駄目だという局面で助けを受けるのですが、佐三さんが取引先や社員に与え続けた温かいサポートや私心ない主張と行動によるものだと思います。カーネギーの著作を地で行くような話です。

最後に先見性とスケールの大きさです。まだ車もろくに走っていない時代から、国内における潤滑油小売商としてスタートし、戦中は日本軍の要請を受け満洲や東南アジアに大きく展開します。終戦と同時に殆どの海外資産を失い、それでもあきらめずに米国への大型タンカーの就航、そして運命のイランとの取引に進みます。この間50年ほどであり、激動の日本の近代史と共に激動の経営史が展開されます。この世界を向こうにひるまず拡大を続ける姿は無謀にも見えますが、経営者の一つのあり方を示しているものと感じます。

戦後の日本の石油政策、輸入や外貨の割当制度、GHQと一体になったメジャーの石油ビジネス支配の試み、朝鮮戦争が果たした復興への役割、イランにおける英・米の石油収奪政策(それによるイランの現在までに至る怒り)などもかなり詳細に書き込まれているので、そういう分野に関心のある方は非常に面白いと思います。

これは売れるよな・・という力作です。著者の次回作にも期待です。

2013年5月6日月曜日

第67回:「ユング心理学と仏教」河合 隼雄

レーティング:★★★★★☆☆

当書評ブログで何度かレビューしている河合先生の一冊です。岩波書店から1995年に発刊されたもので、先生が1995年3月に招きによりテキサス州A&M大学にて行った連続レクチャー(フェイ・レクチャーといって1990年から毎年、内外の高名なユング派の著名な分析家が講師を務めているとのこと)で行った講演を書籍化したものです。まず、アメリカで"BUDDHISM AND THE ART OF PSYCHOTHERAPY"というタイトルで出版され、その後、邦訳されて本書が出版されたものです。

内容としては、フルブライト留学生としてアメリカに渡り心理学の勉強を始めた先生が、その後スイスに渡りユング派の分析家となり日本に戻って、どのような経緯で仏教を意識し始めたか、日本人のメンタリティに仏教が如何に大きな影響力を持っているか、また深層心理学の分析的なアプローチと仏教的な渾然一体とした世界観がどう異なるか(もしくは共通点を持つか)について論じているものです。仏教の知識も理解も乏しい(関心はかなりあるのですが)自分にはなんとも理解が難しいものでしたが、そういうものなのかと感じるところや勇気づけられるくだりもありました。

面白いなと思ったのは、仏僧の明恵(1232年没)が生涯にわたって夢を記録し、『夢記』という書物に内容を残していること(先生が本を書いているそうなのでいつか読んでみたいと思います)。また、禅には十牛図、牧牛図という修行のプロセスを描いた絵があることや『華厳経』の「縁起」という考え方はユングの唱えるシンクロニシティと通ずるものがあることなどなどで、少しでも仏教に通じている人にはあたりまえの入り口的な知識かもしれませんが、浅学の私にとっては結構興味深いトピックばかりでした。特に「II 牧牛図と錬金術」、「III 「私」とは何か」が面白いです。昔、『正法眼蔵』を読んでみようと一念発起したのですが、あまりの長さと難解さにあっさり断念して以来なかなか手が出ないのですが、一度華厳経でも良いし、仏教のメイン級の本を読んでみたいと思うのですがいつになるやら・・。

なお、今日の報道で村上春樹氏が京大で講演を行ったことが大きく流れていました。村上氏が国内で講演をするのは極めて異例ですが、それも河合先生の縁で実現したもので、なかなかに魅力的な(お二人の)コネクションだと改めて感じました。

2013年4月28日日曜日

第66回:「腐った翼 JAL消滅への60年」森 功

レーティング:★★★★☆☆☆

久々に読んだノンフィクションです。著者の森氏は『ヤメ検』などで名をはせたライターであり、今回のJALの他にもオリックスなどをテーマにした著作があります。

さて、今回の作品はタイトルのとおりJALを題材にした一作であり、相当に批判的なタイトルから分かるとおり、如何にJALの経営が迷走し、政官に翻弄され、食い物にされてきたかが描かれています。2010年6月に刊行された本であり、2010年1月19日の会社更生法の適用申請を行い、更生計画案を8月末に提出する前に出されています。従ってカバーしているのは、JALが本格的な更生プロセスに入る前のもので不振の原因を追うことに力が注がれています。

社会人になってから仕事で国際線に乗ることが多く、それまで殆ど日本のエアラインの国際線など乗ったことがなかったので、随分感激した覚えがあります。特に国際線といえばJALという刷りこみがあり(当時は今ほどANAが国際線を飛ばしていませんでした)、やっぱ航空会社はかっこいいよなと思っていました。同時に、御巣鷹山の墜落事故は、私が幼少期に覚えている大事故の一つ(他は潜水艦なだしおの衝突事故、高知/信楽高原鐡道衝突事故です)であり、ずっと関心を持っていました。そんなときに山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』を読み、その事故のすさまじさやJALの置かれた環境のむつかしさ、労使環境のねじれというか複雑骨折ぶりを知るに至りました。

2000年代に入り、NYテロ事件を皮切りにエアラインの経営環境は厳しくなり(これは国際線で稼ぐエアラインに世界共通のものでしたが)、JALもANAも大きな浮沈がありました。しかし、本書で指摘されているのは、JALが成立時から自民党の運輸族や(現在の)国土交通省などからの強い指導と相互のもたれあいの中にあったこと。政府バックアップが存在することによる資本市場からのプレッシャーの欠如や階層ごとに組合が乱立(更生法申請時は9つ)し、協調が不可能となった労使関係などが連綿とあることです。本書を読むと、会社更生法の適用申請は、この強固な構造の中では必然的な結論であり、逆にいえばこの構造を打破するためにはやむを得ない措置だったと思うことができます。

最初の政官との関わりでは、歴代の社長人事が猫の目のように変わっていることから良く分かります。どこ出身のだれが社長になるか、それ自体に大きな意味はありませんが、その組織へ影響を持つ主体がどこであるか、またパワーバランスがどうなっているかは良く分かります。初代:柳田誠二郎氏(元日銀副総裁)、2代目:松尾静麿氏(元航空庁長官)、3代目:朝田静夫氏(元運輸事務次官)、4代目:高木養根氏(プロパー)、5代目:山地進氏(元総務次官)、6代目:利光松尾氏(プロパー、以後プロパーで続く)と運輸省以外にも様々な名前が見えます。また、この他にも会長ポスト、副会長ポストに様々な方が入り乱れており、本書を読んでいると昭和の政財官の錚々たる方が登場してきます。それだけエアラインに関わることは名誉があり、またオイシイところがあったということだと思います。

同時に社内組織は、ばらばらになり対立を深めます。学閥や業務によって企画畑、営業畑、労務畑に分かれ、怪文書が飛び交い、誹謗中傷が激化していきます。大組織とは言え、これだけ公然と社内闘争に力がそそがれ、また部門間で強烈なヒッチがあった会社はかなり珍しいのでないでしょうか。また一部新聞報道などでも紹介されていましたが、公然と社長に対する役員や管理職からの辞任要求があったことも目を引きます。

こういう中で素晴らしい経営を期待することは相当に酷だと思いますが、経営は迷走し、巨額の為替ヘッジ損、燃料ヘッジ損を計上したり、小出しかつ実行できない中期経営計画の発表、それを基にした奉加帳方式での資金調達を続けます。しかし、その間に着実に機体は老朽化し燃料費が増え、赤字路線は増え(政治圧力で撤退も困難)、組合交渉も事実上困難であり人件費総額も増大し続け破綻に至ります。本書を読むと歴代の経営陣も色々と手を打っていますが、特に2000年代に入ってからは思い切った手を打つ財務基盤も損なわれており、対労組の交渉力も低下していることから身動きできなくなっていることが分かります。

どの局面をとってもビジネススクールの長めのケース・スタディにぴったりの題材ばかりで、読んでいると(相当批判的に書かれているため)若干憂鬱な気分になってきます。しかしながら、課題のデパートのような一冊であり、エアラインのような巨大運輸企業がどのように困窮していくか、またその過程でどのような社内外の要因が強く作用したか非常に勉強になります。その意味で本書は面白いのですが、難点を挙げるとすると、あまりに色々な課題を詰め込み過ぎて、因果関係や重要な点がどれか分かりにくくなっていること(ノンフィクションなので、別にそんなことは書こうとも思ってないのかもしれません)、また余白が異様に狭く取られていてページの端ぎりぎりまで文字があるので、持ちづらく読みにくいことがあります。後者は出版社の問題ですが。

なお、本書は会社更生法適用申請時にニ次破綻するのではないか取りざたされたことを紹介しつつ、再建の成否にかなり懐疑的です。しかし、面白いもので経営が変われば(もちろん巨額の債務免除などもありましたが)会社は変われる部分も大きく、2012年の再上場を果たし、日本の大型再生案件の筆頭ともいえるケースになりました。ぼちぼちこの再生プロセスについて書いた本が出てきたので読んで見たいと思います。今度は企業再生という観点から読む前向きなものとなると思います。

2013年4月20日土曜日

第65回:「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上 春樹

レーティング★★★★★★☆

久々の村上春樹さんの新作です!テンションあがり、発売日に紀伊国屋に駆け込み買って来ました。しかし、前作1Q84と同じく、勿体無くて一気に読めず、じわじわ展開を楽しみにしながら読みました。4月12日スタートで18日読了、丁度7日間かけました。

何度も触れているように、私は相当の村上春樹ファンですが、「大作の後は一休み」と勝手に名付けている法則があります。これが何かというと、村上さんの長編大作の直後の作品は大体すこしパワーダウンすると個人的に(体験的に)思っている(例:『ダンス・ダンス・ダンス』の後の『国境の南、太陽の西』、『海辺のカフカ』の後の『アフターダーク』、異論は歓迎です。)のですが、本書はそんな法則から外れる、心に響く一作でした。大袈裟ですが、同時代にリアルタイムで村上さんの作品を読めることに幸せに感じて来ましたが、今回もその感じをあらたにしました。まだ品薄のところも多いようなので、なるべくネタバレしないよう、やや抽象的にレビューしたいと思います。

各種の書評を見ている限り、かなり評価が分かれているようですが、これはファンもアンチもかなり多くの人が手に取る村上さんの本にいつも起きることです。それより自分がどう感じたかを書いてみようと思います、いつもどおりですが。

私が面白いと思ったのは、村上さんの作品に良くある孤独、成長、傷、快復といったことをテーマにしながら、過ぎていく時間を大きなテーマにしているように思える点です。大学時代の大きなエピソードを中心に話は進んでいきますが、そこから長い時間の経過があり、その長い時間が経過してからの過去、現在、未来との向き合い方が描かれます。この長い時間を描いていくことは比較的少なかったと思いますが、今回の物語に奥行と深みを与えています。昔、村上さんはドストエフスキーのような全体小説をいつか書きたい、と書かれていましたが、そこに少しずつ近づくための習作としても読めます、次の作品は(気が早いですが)相当長い時間軸で一人を中心に描くのではないでしょうか(いや、ファンとしての希望ですが・・)。

また、他に意外であり良いなと思った点は、率直で分かりやすい会話がなされたり、人生や時間、友情などについての考え方が繰り返し、登場人物から語られるところです。初期の作品にあった謎めいた会話(今回も謎は無数にありますが)は影をひそめ、少し説明的とも思われるセリフや描写が多数見られるところは、かなり作風が変わったなという印象を受けます。この傾向は前作1Q84からかなり顕著になってきています。また、村上さんがあまり好きでないと書いていた、漱石の後期の作品や昭和前期の私小説のような印象も受けるややウェットな作品に仕上がっています。ここらへんの作風の変化は、失礼ながら村上さんの年齢と密接に関わっている気がします。60歳を超え、伝えたいことをなるべくストレートに伝えたくなってきたとか、若いころのように読み方によってはまどろっこしい書き方より、ストレートに問題意識を問いたくなったとか・・いずれも推測に過ぎませんが、この作風の変化はかなり強烈に感じました(実験的に変えている可能性はあります)。

ストーリーは冒頭に大きな謎が呈示され、それを解くことを中心にエピソードが進んで行く、わりに直線的なものです。幾つかの捻りはあるけど、概ねストレートな流れです。そこにはどんでん返しもありませんが、長い時間の経過を絡めたことで痛切な孤独と順調に一見見える生活に張り付いた絶望が描かれます。しかしネガティブなものだけではなく、あきらめきれない気持ち、真実を知りたいと思う心、それでも人と寄り添って生きたいという心情も提示され、温かさもある話になっていると思います。

良くも悪くも、馴染みやすい(ツイッターやグーグルというのが何度かでてくるのはかなり驚きました)一冊なので、失望する往年のファンもいるかも知れません。また、終わり方にヤキモキする読者もいるかもしれません(1Q84で免疫ができてるかな)。しかし、特に主人公と同年代、または同年代以上の方には非常に考えるところの多い一冊だと思います。ドキドキ・ハラハラするだけではない考え込んでしまうような作品です。

私のなかでは確たる評価はできていないのですが、レーティング(6/7)は再読しても変える必要がない気がしています。村上さん最高レベルの作品ではないと思いますが、今までとは違った趣の面白さがあり、少し時間をおいて再読してみたいと思います。また、ないと思いますが続編が読んでみたい一作です。

ちなみに作品には分かりやすい程に(昔からそうですが)心理学的要素が盛り込まれており、夢、アニマ(の投影)、シンクロニシティ、シャドウなどユング的な世界観が色濃くでていますので、心理学的観点からそれぞれの登場人物を読んでみるのも面白いかと思います。なお、作品の主題曲といっても良いリストの曲はYoutubeで聞けます。初めて聞きましたが独特な哀感があり、なんだか切なくなる曲です。こちらもぜひどうぞ、便利な時代になりましたね。

2013年4月7日日曜日

第64回:「IGPI流 セルフマネジメントのリアル・ノウハウ」冨山 和彦

レーティング:★★★☆☆☆☆

やたらとカタカナの多い書名で、なにやら気恥ずかしい感じですが、タイトルと中身がうまく一致しない本で、内容は当事者企業に勤める社員にとってM&Aがどういう意味を持ち得るか、ということをまとめた本です。タイトルに社名を付しているとおり、冨山氏がCEOを務める会社は社業の一つとしてM&Aアドバイザリーを行っているのですが、その宣伝も兼ねています。

まず前半、M&Aは集団転職である、というところから始まり、個々の社員のキャリアを良くも悪くも一変させる可能性があることを説きます。そして昔から言われてきたものの、やはり難しいと言われる買収先の人材確保、登用、インセンティブ付けの重要性が語られます。冨山氏の会社はM&Aに関与する場合は、人材DDをかなりやるそうです。

次に後半、そういうM&A多き時代に生きるには、二つのスキルの組み合わせ、たとえば法務に明るい営業マン、エンジニア出身の財務マン、といった形が望ましい、また英語はしゃべれて当たり前(だめなら即猛然と努力するようにとのこと)などビジネスパーソン一人ひとりの生き方や心構えについての記述がなされていきます。ここらへんは大前研一氏(あまりちゃんと読んだことがありませんが)などが書いていそうなことです。

ざっくり内容を書いてきましたが、どこらへんにがっかりしたかというと、まず書いている内容があまりに普通でどれもどこかのビジネス本やメルマガに書いてあることばかりです。また、M&Aの性質やインパクトについて前半記載し、そのなかでのビジネスパーソンの生き方について後半記載しているのですが、どちらも分量、掘り下げ方ともに中途半端です。特に前作(第36回でレビュー)がコンサルタントとしての鋭い知見に富んですごく面白かったのですが今回は残念です。

共感、発見があったのは、「会社と付かず離れず、適度な距離を保つ」、「金銭的にも会社に縛られすぎない」(会社の住宅ローン、財形、社宅など)、「転職も出向も経験になる」などでしょうか。原点回帰した次回作に期待したいと思います。

2013年3月31日日曜日

第63回:「風の歌を聴け」村上 春樹

レーティング:★★★★★★☆

1979年の村上氏のデビュー作品です。これで読むのは恐らく三回目くらいです。前回レビューした「スプートニクの恋人」を読んで、また村上作品を読みたくなりました。3月は会社の異動や海外からのお客さんなどが多いので時間がなく、新たな本を調達するのも難しいため、まずは近くのものをということで読みました。もちろん村上氏の待望の長編が4月に発売になるため、勝手に気分が盛り上がっていることもあります。

本とは直接リンクしませんが、今日は重い一日でした。高校時代同じ部活で三年過ごした友人が去年の秋に急死し、いろいろ経緯あり、僕たち友人は今年1月に知ることになりました。その後、やっと都合がつき、同じ部活にいた友人と合計三人で御両親を訪ね、遺影に対面してきました。

不思議な気分でいまだに信じられませんが、親御さんに会うとまた最初に聞いたときとは別の種類の悲しみが込み上げ、やりきれませんでした。まだ三十代でいろいろやりたかっただろう友人、無念であり残念でしかたありません。部活の合宿で夜遅くまで騒いだことや、熱い夏に逃げるように入ったマックで何時間もバカ話をしたことを思い出します。あれからそれぞれに人生を歩んで来たわけですが、もう会えなくなるとは(当然ですが)まったく想定できなことで、その取り返しのつかなさに呆然とします。ご両親は、亡くなった友人に「いつもみんなのそばで見守って、護ってね」とおっしゃっていました。まだ生きる我々にできることは、自分の人生を一生懸命に生きることぐらいかもしれません。できれば生き続けられなかった友の分も。

作品に戻ります。青春への別離、というのが一つのテーマです。村上氏が29歳の時に書かれたものだそうで、ところどころに実体験を思わせるリアルな描写が出てきます。かなり異色の作品であり、いま読んでもどう評価していいのか僭越ですが迷います。この作品は群像新人文学賞を取っており、当時かなり賛否が分かれたと聞いていたので当時の選評を探してみました。結果、驚きました。評価委員には大家が並んでいるのですが、かなり好意的に高い評価を与えています。以下、ちょっと引用してみます。

佐多稲子氏:『風の歌を聴け』を二度読んだ。はじめのとき、たのしかった、という読後感があり、どういうふうにたのしかったのかを、もいちどたしかめようとしてである。二度目のときも同じようにたのしかった。それなら説明はいらない、という感想になった。

クールな感想ですね。かっこいいです。

丸谷才一氏:村上春樹さんの『風の歌を聴け』は現代アメリカ小説の強い影響の下に出来あがったものです。カート・ヴォネガットとか、ブローティガンとか、そのへんの作風を非常に熱心に学んでゐる。その勉強ぶりは大変なもので、よほどの才能の持主でなければこれだけ学び取ることはできません。昔ふうのリアリズム小説から抜け出さうとして抜け出せないのは、今の日本の小説の一般的な傾向ですが、たとへ外国のお手本があるとはいへ、これだけ自在にそして巧妙にリアリズムから離れたのは、注目すべき成果と言っていいでせう。

丸谷氏にこれだけ言われたら作家冥利に尽きますね。ちなみに村上氏は、この作品と(私もかなり好きな)「1973年のピンボール」は初期の未熟な作品として海外翻訳を許可していないそうです。

私がこの作品を好きなのは、幾つか理由があるのですが、わけのわからなさと一貫して流れる哀しい感じが秀逸です。会話は断片的で、学生運動における運動側の敗北を示唆するところがあったり、若者の乱れた生活の害悪のようなわりと普通なことも描かれていますが、どれも本当にぶつ切りで話は妙にぼかされています。しかし個別のストーリーを良く分からなくしているが故に、結局「全て過ぎ去ってしまう」のだ、という哀感がくっきりと浮かび上がってきます。

「ノルウェイの森」ではより顕著になりますが、別離は初期の村上氏の大きなテーマです。本当に別離を経験することは、体にも心にも堪えます。友人のご冥福を祈りたいと思います。

2013年2月17日日曜日

第62回:「スプートニクの恋人」村上 春樹

レーティング:★★★★★★★

相変わらず読書に割ける時間が激減していますが、なんとか月1は確保していきたいと思います。来週の日曜で懸案が一つ終わるので、3月は少しゆっくりできそうなので、何冊か気になっているものがいければと思います。

ところで私の好きな作家である村上氏の1999年の作品です(文庫は2001年)。当然ながら当時リアルタイムで購入しており、今回はなんと4回目か5回目の再読です。1999年から今まで14年近くになりますが、その間に一番再読した本かもしれません。およそ一度読んだ本の9割は二度と読まないのですが、その中でも頂点に近いというのは不思議な感じもします。なぜ不思議かというと、この本は村上氏のヒット作が多々ある中で非常に話題に上ることが少なく、どちらかというとかなり忘れられているに近いものだからです。長編小説としては大作「ねじまき鳥クロニクル」とターニングポイントともいわれている「海辺のカフカ」の間に刊行されたものです。

さて、この作品の特徴を私なりに書くと、①比喩がかなり過剰なまでに多用されている(おそらく試み、といった側面があります)、②実は作者の思いや経験が(ところどころ)ストレートに出ている、③めずらしく?最後がハッピーな終わりを予感させる終わり方になっている、というところです。パーツパーツの特徴をこう描くと以上のようですが、それに加えて、キラー文章とも言える幾つか素晴らしいフレーズや文章が見られます。コンパクトで適度に修飾的で、かつ絵画を思わせるいい文章が片手では数え切れないくらい出てきます。もっともっと世間的に評価されてもいい作品な気がしますが・・。

次の文章は少し有名かもしれません、冒頭の一文。「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手の形あるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。(続く)」こういうやや過剰な文章は作者のあまり多用するところではありませんが、かなり意識的に本作では使われ、またそれらは(まどろっこしいですが)作品全体のトーンを暗示するものとして効果的に使われていて、感心するものがあります。

また作者の思いですが、作中での中心的な役割を果たす「すみれ」の独白や思いにかなり代弁されている印象があります。人づきあいが昔から苦手で、かなり交流を避けた時期もあったこと、全体小説をいつかかいてみたいと思っていること、(著者が以前訪れた)ギリシャに行くこと・・などなど。作者はいつもは作品にこういう思いをストレートに表現することは少ない(かなり慎重に避けている)ように見えるのですが、この作品は異色です。「海辺のカフカ」でのチェンジの前ということを考えると、それ以前の作品とのつながりをもつ本作(たとえば「ねじまき鳥クロニクル」で重要なモチーフとなった井戸は今回も出てきます)で一度なにかを総括しようと考えたのかもしれません。

どんどん長くなってしまいますが、結論としてはまだ読んだことのない村上ファン、ファンでない方にもぜひ読んでいただきたいということです。書評を見ても殆ど本作のものが見つけられませんが、筋の突飛さはあるものの、すみれの持つ切迫感、主人公の持つ虚無感と現実への対処など普通の人々が普通に感じるであろう人生も生々しく書かれています。そして春の雨の夜のように暖かいエンディングも素晴らしいです。ちょうど昨日、長編としては3年ぶりとなる作者の作品が4月に発売との報道が一斉に流れました。ファンとしてはうれしい限りでどこで事前予約を入れるか今から楽しみにしています。2009年、2010年に発売されて賛否両論を巻き起こした「1Q84」の続編という説もありますが、どうでしょうか。例によってプロモーションは小出しにされそうですが、今から楽しみです。

2013年1月14日月曜日

第61回:「インテリジェンス 武器なき戦争」手嶋 龍一、佐藤 優

レーティング:★★★★★☆☆

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

新年一冊目のレビューは先月読んだ本で、遅れて掲載したものです。 最近しばらく読書が捗っておらず、当面状況は変わらなさそうですが、図書館やら本屋で本も仕込んでますので可能な範囲で読んでいきたいと思いますので、気長にお付き合い下さい。このブログは2011年に開始したのですが、2年目に当たる2012年は数えてみると27冊でした。30冊を超えていた2011年に比べるとややペースダウンですが、見返してみると楽しく、思い出に残るものが多く、収穫のある1年でした。

さて、レビューです。著者の二人が好きで買ってしまった一冊です。手嶋さんのNHK時代はよく知らなかったのですが、辞められてからは外交やインテリジェンスといった分野で積極的に発言されているのを知りました。ちなみに著作の「ウルトラダラー」はプロの作家かと思うほど面白いものでした。

佐藤さんはいわゆるムネオ事件ですっかり有名になりましたが、初期のロシアものの作品は本当に面白いです。むつかしい人のようですが、まだまだバリバリ働ける方だと思うので、どこかで政治なり、外交なりにもう一度直接関わって欲しいなぁと勝手ながら思います。

隣国との領土を巡る話題が多い今日この頃ですが、良くみるとアセアンもアフリカも中東も、果てはいまだにフォークランドもそうですが、世界中で領土やそれに限らない多様な揉め事に溢れています。本書はインテリジェンスとはなにかと定義した上で二人の経験や取材などを元に話が進んで行きますが、どれも面白いものばかりで、上に書いたようなニュースにより関心が出てきます。日本版NSC含めて国のインテリジェンス体制整備が始まろうとしてますが、ぜひ有効な対策が取られるといいなぁと思います。 新書であり、比較的さらりと読めますが面白さは十分です。