2013年9月22日日曜日

第76回:「ブッダ最後の旅」中村 元訳

レーティング:★★★★★★★

今回の一作は、本ブログ史上最古の本の翻訳です。原文はパーリ語で書かれており、日本の偉大な仏教学者であった中村元氏が訳したものです。私が中村元氏の名前を知ったのはもう10年以上前ですが、大学で「比較宗教学」なる授業をとっていたことがきっかけです。授業に関心があったというよりは、比較的楽に単位が来て、時間帯もたしか午前中の遅めだったので(遅刻しなそうで)いいなというぶったるんだ大学生の典型のような気持ちで受講したのがきっかけでした。しかし、人生万事塞翁が馬ですね、授業は思いのほか面白く、殆ど出席した覚えがあります。その授業を担当していた教授は(今も健在で教えているようです)中村先生の直弟子であり、授業中何度となく中村先生を絶賛していた(事実絶賛しきれないくらいすごい業績を残されています)のがきっかけです。いつかは中村先生の著作を読もうよもうと思いつつ、はや10何年たってしまいましたが、やっと1冊読むことができました。読書はなにか縁を感じることがありますが、この一冊もそういうものとなりました。

さて、本書ですが上記の通りパーリ語で書かれた「大パリニッバーナ経」を翻訳し、さらに分厚い脚注を付したものです(脚注の方が長い)。主題はまさにタイトルの通りで、ブッダ入滅の前後が描かれており、後世の脚色はあるものの、比較的史実に忠実なブッダの姿を伝える経典だそうです。これも大学生の時に手塚おさむの「ブッダ」を読んで大変感銘を受け、今、こうして原典(の翻訳)を読めて非常に感慨深いものがあります。私は特定の宗教を信じることはなく、神社にも寺にも行きます。海外なら教会も行きますし(礼拝にはいきませんが)、ヒンズー教の寺院にも入ります。ただ、海外にいくときにたまに宗教をきかれますが、そういうときに自分ははてなにを(相対的に)信じているかと聞かれれば仏教だと思います。仏教の(相対的にですが)排他的でないところ、無理がないところなどが好きです。その根幹にはブッダというその人への共感がある気がします。

この経典を読んで驚いたのは(およそ経典を読むのも初めてですが)、なんども繰り返しをともなう独特のスタイルです。Aという発言が出てくると、それが1度、多いときは2、3度繰り返されます。最初はめんくらうのですが、繰り返されると自然と頭に入ってきて、心地よいリズムができてきます。解説によれば、初期の経典は口承で伝えられたので、覚えやすいように繰り返しが多用されているとのことです。もうひとつは、非常に人間的なところです。後世の脚色/神格化が少ない経典だそうで、比較的生き生きとした会話があり、痛みの描写があり、気遣いの様子が描かれています。まさに人間ブッダを描いており、そのストイックさ、他者への思いやり、飾らなさなどに心を打たれます。特に思いやりという点では、死の前に客人から振る舞われた食事をとって急速に体調を崩すのですが、その状況でさえ食事を出した人がのちのち自分のせいではないかと気にやまないように深い気遣いを見せます。また、古代インド/ネパールでも深い身分制度が確立されていたのですが、殆どそれを感じさせず様々な階層の人と対等に自在に交流しているところです。おごらず、たかぶらず、えらぶらず、当たり前といえばそうですがどこにも強権的なところがありません。

本書の後半は全て中村先生による解説ですが、またこれが秀逸です。余りに難しくて2割くらいしか分からないのですが、東西の翻訳や写本も検討し、細かなニュアンスの検討をこれでもかと行っています。現代の世界、日本でこういうレベルで語れる人は何人くらいいるのでしょうか。その圧倒的な博識と執念にただあきれるばかりです。

いきなりブッダ入滅の経典を読んでしまったわけですが、他のものも時間を見つけてライフワークの一つとして読み進めていきたいと思います。

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