2012年10月28日日曜日

第56回:「フロイトとユング」小此木 啓吾・河合 隼雄

レーティング:★★★★★★☆

日本を代表するフロイト派の医師である小此木氏と同じくユング派の心理療法家である河合氏(いずれも故人)の対談本です。ここ何回か、対談本が一般的傾向として如何につまらないかを書いたのですが、本書はその例外となる深く、広く、学ぶところの多い一冊となっています。なんでも本書は元々1979年に刊行されたものの、出版社の事情で入手が困難となり、復活を望む声に押されて1989年に復刊したとのことです。両対談者のまえがきとあとがきでも読み取れますが、ずいぶんと思い入れのある一冊だったようで、そのことは中身の濃さからも想像できます。

内容はタイトルのとおりで、両対談者がどのようにフロイトでありユングに学ぶようになったかというヒストリー、フロイトやユングの中心的な考え方・アプローチの相違点、日本や東洋におけるフロイトやユングの意義などが語られていきます。内容としてはやさしいところから高度なところまでカバーしていますが、対談という性質かするすると読めますし、それでいて内容は手を抜いているところはありません。世の中にフロイトやユングについて書いた本は多いですが、日本の第一人者が対談形式で迫ったものはなく、貴重なものかと思います。なお、対談が行われた時代が時代なので、若干学生運動やいじめ問題(こちらはまだ隆々と続いていますが)も触れられていますが、特に時事ネタに偏っていることはなく(むしろほとんどない)、現代でも全く違和感のない内容です。

面白いのは、「科学」たらんことを目指し、組織、系統だったものを重視したフロイトを学んだのは、慶應医学部を出て、医師として研究・実践した小此木氏であり、それに対して徹底して対象の「内面」に重きを置いて、ある意味対象の外部に起こった事象は意味を持たないというくらいの割り切りを見せたユングをつぶさに学んだのが、医師ではない河合氏であったことです。フィットというのでしょうか、それぞれのキャラクターは、よくフロイトやユングにあっているようです。また、相違点のみならず、フロイトとユングの相互の影響やお互いに認め合っているところもたくさん読み取れます。

個人的な備忘になってしまいますが、ボス(スイス)、ライヒ(オーストリア)、ラカン(フランス)も著作をいつか読んでみたいと思います。

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